2008年09月29日

地球と人類の将来を憂う/冨田 浩

「世も末だ」と言う言葉を使いたくなるような事件や話題が多くて、日々憂鬱にさせられるのは私だけでは無いと思います。テレビやインターネットなどが、時々刻々に生々しくニュースを伝えてくれるというメディアの影響もあるのでしょうが、兎に角、悲惨というか、訳の分からないような嘆かわしい事件が、最近はあまりにも多いように思われます。

 もっとも「世も末だ」が使われ出したのは、最近のことではなく、長い歴史を持っていて、多分人類誕生の時代にまで遡れるのかも知れません。

 人類は自然の恩恵を豊かに受けて増大し発展すると共に、時としては自然が持っている圧倒的な力の前に翻弄され、大きな苦難をも受けて今日まで歩んできたことを歴史は示しています。
 一方人類は、多種多様な生物の中にあって特別な能力を与えられていて、知恵を働かせ、知識を継承することによって、自然現象を読み解き対応する努力を通して、より豊かで便利な生活を実現してきたのも事実です。 

 それなら、人類は時代と共に幸福になり、より幸福な社会を目指し、実現して今日まで歩んで来たのかと言えば、全くそんなことはありません。このような理想的生活そして理想的社会に向かって歩めなかった理由は、人類が抱えている心の問題にあると私には思われます。
 人間の知恵は物質の世界、自然科学の世界では有効に働き、見るべき成果を挙げているかに思われます。しかし、人間の心に潜む問題、自己中心、利己主義、傲慢、罪の意識や罪に抗する力の弱さについては太古以来変わることなく、進歩の形跡が見られません。最近では特に、生命の尊厳をわきまえない自分勝手な行為、犯罪が跡を絶ちません。

 人類は、自然が持っている圧倒的な力に翻弄されてきたと言いましたが、それだけでなく、自らの心に潜む様々な問題が原因になり、自ら多くの苦難を招いてきました。国と国との争いに、その典型を見ます。個人同士の争いでは、恥ずかしくて隠して行うようなことでも、集団の間の争い、特に国と国との争いでは、人間が持つ傲慢さがあからさまに現れがちだと思います。「世も末だ」は、自然災害に対してよりも、むしろこのような人的災害に伴って使われる言葉だと気付きます。

 心の問題に進歩が無い限り、自然科学の進歩に基づく成果は、人類の幸福に役立つのではなく、人間自身に人為的災害を与えるという大きい負の効果ももたらしています。地球環境の悪化、資源の枯渇などの原因についても、根本には人間の傲慢さ、地球の主人であるかの様な思い上がりを感じます。地球と人類の将来は、人間が、自分自身完全な存在でないことをよく知り、謙虚になり、自己中心でなく他者を顧みる心を持つよう常に努力できるか否かに係っていると思います。
                             (2008年9月10日)

posted by でんきけい at 00:00| Comment(0) | ひろば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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