2009年06月29日

ブラウン管の終焉/山崎 映一

ブラウン管との出会い
 1955年の卒業と同時に私は日立製作所に就職した。配属されたのは千葉県の茂原工場、

茂原がどこにあるかも知らずともかく行ってみるとそこにはRCAから技術導入されたばかりのピカピカの電子管工場があり真空管(受信管)の大増産が始まっていた。テレビ放送は既にその2年前に開始されていたもののブラウン管の国産化は未完でこれに対処すべく当時丁度14インチ白黒ブラウン管の量産設備が構築されつつある所であった。私はそのブラウン管の設計担当を命ぜられた。これが私のブラウン管との一生にわたる永い付き合いの始まりである。
 ブラウン管の生産開始と同時にシャープから大量の注文を頂き7月1,000本、8月2,000本、9月3,000本と猛烈な勢いで生産立ち上げが行われた。今から考えてもその最初の時点からその現場に居合わすことが出来たのは私にとっても大変幸せなことであったと思う。

ブラウン管の発明
 ブラウン管の歴史は1897年K. F. Braunによるブラウン管の発明にさかのぼる。既にそれ以前にもJ. Prückerは放電管の放電経路が磁界を掛けることにより変わることを観測しており(1859年)、また陰極線そのものは1876年E. Goldsteinにより発見されているがその陰極線を集束、偏向して蛍光面上で発光させる構造とし現在の実用的ブラウン管構造としてまとめたのは正にBraunの業績である。そもそもブラウン管と言う呼称は専らわが国で用いられ、他国ではCRT (陰極線管) 或いはPicture tubeと呼ばれる事が多いがBraun自身はその発明時点で自ら「ブラウン管」(Braunsche Röhre)と命名しており日本でのブラウン管の呼称は正に正統的なものと言うことが出来る。
 Braunの業績については5年程前欧州旅行の折りにたまたま訪れたFulda市(Braunの生地) の博物館でそのあらましを知る事となったが、その詳細については近々予定している東欧旅行の際に再度ここを訪れもっと詳しく見てきたいと思っているのでその時点で改めて報告することとしたい。
オッシロスコープとしての応用
 ブラウン管の最初の実用例はオッシロスコープであるが実はそこに至るまでには30年程の時間を必要とした。当時既に機械式オッシログラフが実用化されており単にリサージュパターンしか表示できぬブラウン管とは比較にならぬ性能を持つものであった。ブラウン管が実用化されるのは時間軸表示回路が開発されまたブラウン管自身も高輝度化が図られて観測が容易になってからのことである。何れにしても20世紀前半におけるブラウン管の応用は殆どオッシロスコープの領域に限られると言っても過言ではない。

テレビへの応用
 ブラウン管をテレビの受信に利用しようと言う構想はM. Dieckmannらにより既に20世紀初頭に提案されていたものの実際の実用化実験に成功するのは20年も後の1926年のことである。同じ年日本では高柳健次郎が「イ」の字をブラウン管上に表示させることに成功したことは有名であるがこれも日本国内だけの話で海外では殆ど知られていない。本件については今大野栄一兄がIEEEのHistory Committee委員として働きかけをしておられ近く正式に国際的に認められるものと期待している。
 テレビの実験的な定時放送が開始されたのは1936年のベルリンが最初でこれに英国、フランス、米国などが後を追うことになる。しかし本格的な実用期を迎えたのは戦後になってからの事で日本での放送開始は1953年である。これが爆発的に普及しいわゆるテレビ時代の開幕となる。20世紀後半は正にテレビの時代であった。
 カラーテレビに関しては当時米国CBSがフィールド順次式による実験に成功していた。これは9インチ径の白黒ブラウン管の前面に20インチ径の3色フィルターを高速回転させて3色画像を順次表示するというとてつもない代物で、放送方式としても当時の白黒放送とも全く互換性のないものであった。しかし米国FCCはこれを1953年カラーテレビの標準方式として採用するという決定をしてしまった。慌てたのは対するRCAでこれに対抗して全電子式(つまり回転機構のない)カラーテレビの開発に急遽取りかかった。時間的余裕がないため可能性のある5つの方式についてそれぞれチーム編成を行い、5つの開発チームが同時進行で開発を行うという異例のプロジェクト態勢が取られた。(この辺の事情は当時のRCA Reviewに詳細に述べられている。) 数ヶ月後この中で最も実現性の高い物としてシャドウマスク方式が選ばれた。現在でも用いられているシャドウマスク型カラーブラウン管の原型となったものである。幸か不幸か当時丁度朝鮮戦争が勃発し米国内では軍事産業を優先するとしてカラーテレビの生産は一切禁止されCBS方式も結局陽の目を見ることはなかった。戦後になってFCCは前決定を取り消し改めてRCAより提案されたシャドウマスク型ブラウン管を用いた全電子式カラーテレビとその放送方式を標準方式として採用することを決定した。いわゆるNTSC方式と呼ばれるもので白黒放送とも互換性があり現在に至るまで用いられている。

コンピュータモニタとしてのブラウン管
 シャドウマスク型ブラウン管もその開発初期に於いては性能的にも極めて低く例えば画面輝度を見ても暗室中でなければ実用にならね程度のものであったがその後新蛍光体の開発を含め各種改善により10倍程度の輝度向上が行われ明るい部屋でも十分に使えるものとなった。その他解像度を含めすべての項目で飛躍的な改善改良が行われて現在のブラウン管に至る訳であるが、その改善プロセスの一つの大きなステップとしてコンピュータモニタへの応用が挙げられる。
 初期のコンピュータではその出力データはすべてテレックスマシンで紙の上に印刷されて出てきた事を記憶されている方も多いと思う。延々と紙の上に打ち出されるデータを眺めてはうまく行ったとか行かないとか気をもんだものである。そしてその後に残った膨大な紙の山に悩まされることになった。この出力データをブラウン管上に表示させようと言う試みは1970年代になってから始まった。文字信号発生装置が開発されこれが可能になったためである。最初はオッシロスコープ同様緑単色のブラウン管が用いられたが、これは間もなくカラーブラウン管に取って替わられることになる。とは言えテレビ用のブラウン管をそのまま用いては解像度を始め殆どすべての点で満足が行かずモニタ専用のブラウン管を全く新しく開発する必要があった。シャドウマスクピッチを細かくすることは勿論、電子銃、偏向回路を含めたすべての点で全面的に高精細仕様とする事が求められた。かくしてブラウン管を表示素子として利用することによりコンピュータ自身の性能も飛躍的に向上しかつ取り扱いやすいものとする事が出来た。このようなブラウン管の存在無しには現在のように高度に発達した情報化社会の形成は成し得なかったと言っても過言ではなかろう。

デジタルテレビ時代とフラットパネル
 この様にして20世紀の最後の四半世紀はカラーテレビとコンピュータが主

となって情報化社会、IT社会の急成長を成し遂げた。当然ここで用いられるブラウン管の生産も急増しその全世界生産量の急成長ぶりは図に示す通りである。 
 所が21世紀に突入するや否や状況は一変する。先ずモニタ用ブラウン管の生産が急落し始める。続いて5年後にはテレビ用のブラウン管もその後を追う。何れも液晶を初めとするフラットパネル
 ディスプレイ世界生産.jpeg
 ディスプレイの全世界生産
の急成長によりそのシェアーを置き換えられてしまった結果である。
 今やデジタルテレビ時代、特にそのハイビジョン放送の特性をフルに発揮させる為には少なくとも40インチ或いは50インチ以上の大画面を必要とすることを考慮すればこれをブラウン管で作ることはもはや非現実的である。液晶テレビもつい最近まではその画質特性がブラウン管に及ばず色々問題点が指摘されてきたがここ1〜2年の改善努力によりその殆どが解決を見た。今やフラットパネル時代に突入し、ブラウン管はその終焉を迎えることとなった。現在でも中国やインドなど低コストが必須の市場ではブラウン管の生産が続けられているがこれもあと時間の問題であろう。フラットパネルも液晶、プラズマの他に新しいものとして有機ELなどの開発も進められている。今後益々の発展を期待したい。私自身も既に2年前58インチのプラズマテレビを購入しハイビジョン放送の恩恵をフルに享受している。
 ともかくブラウン管をその立ち上がりから終わりを迎えるまで見届けることが出来たのは私にとっても大変幸せなことだったと思っている。

 (本稿は2007年12月札幌で開催された国際会議IDW ’07の招待講演としてお話しした内容をベースにしたもので、この講演はBest Paper Awardも受賞致しました。又その日本語版は映像情報メディア学会誌2008年10月号に特別寄稿として掲載された事を付記します。)

posted by でんきけい at 00:00| Comment(5) | 山崎レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ブラウン管の発達とその応用についての歴史を、簡潔に且つ平易に纏めて解説して頂き大変有難う御座います。また我々の若き日々を懐かしく思い出しています。山崎君がその分野の権威者であるのは今更私が言うまでも無く皆さまご存知の事でしょう。
 ブラウン管での私の思い出は何と言ってもシャドウマスクチューブです。昭和34・5年頃NTSCカラーテレビ信号のマイクロ波中継の実験のためRCA製のカラーテレビ・セットを購入して使用した。(確か当時の定価は499ドルと記憶しています)当時はカラーモニターなどは入手出来無かったが、そのセットは21インチの円形のシャドウマスクを使っていた。問題はシャドウマスクの金属板が地磁気に依って不均一に磁化され、RGBの三つの電子銃からのビームが曲げられて正しい三つのR〈赤)、G(緑)、B(青)の螢光体に正確に当たらないと言う所謂カラー・ピュリティーが劣化して色が部分的に滲んでしまう事であった。
 従って地磁気や周辺の磁界の影響も受けやすいシャドウマスク・セットの設置の場所や向きが制約された。セットを東西に向けるとマスクと地磁気が平行してしまうので、セットは南北向けの設置が原則であった。またマスクの着磁を消去するためにデマグネタイザーと称する直径4・50センチのコイルを商用電源に繋いでそのコイルを神主のお払いの如くシャドウマスクに近着けたりあるタイミングで離してやると言う脱磁作業を定期的にしてやらないと色が綺麗に映らなくなる。この他コンバージェンスと言う色ずれの調整など周辺マグネットの調整など大変な工数を必要とする代物であった。折角前日に念入りに調整して置いたのに翌日の本番では何故か状況が変わって色ずれとなり上司に怒られたり色々大変であった。しかし感心したのは、良くもこのような完成度の低い製品を発売したRCA社の勇気とその決断力であった。その後の発展は山崎君の寄稿のとうりで今日に至っている。私も46インチのプラズマを楽しんで見ているが、将に隔世の感である。
 しかし考えて見ると、ブラウン管は電子管としては、特殊なマグネトロン(電子レンジ用など)、クライストロン(リニアーアクセレレーター用など)、進行波管(大電力送信用)等を除いてテレビ用として最も長期間に亘って社会に広く利用されて来た「優れ物」と言うべきであろう。
 
 なお、私は大学の工場実習で約一ヶ月間茂原の早野工場(?)でRCAのライセンスで作っていたmt受信管の調査と実験を経験させて頂きました。

Posted by 林 義昭 at 2009年06月29日 00:27
ブラウン管と共に技術者として全うされ、2007年に招待講演でBest Paper Awardを受賞されたことに心から敬意を表します。
ブラウン管については、様々な思い出があります。私はNEC入社時に真空管工場を希望しましたが、配属されたのは伝送工場でした。当時はアナログ時代で、私は搬送電話装置に搬送波を供給する装置担当でした。この装置は生産量は少ないのですが、パネルの種類は多く、ブラウン管を使用して周波数を校正する同期パネルもありました。多数の周波数を発生するには、磁気飽和線輪を用いてパルスを発生して、濾波器で分波していました。このパルスを観測するのに、当時は電磁オシログラフを使用していました。搬送波供給装置は、システムの心臓部であるため、信頼性を厳しく要求され、装置は二重化して自動切換えをしていました。この切替時間を測定するのも電磁オシログラフで、暗室で現像していると、現像液で爪が黄色に染まりました。
漸くオシロスコープが使用できるようになった頃、大失敗をやりました。それまで、偶数次の搬送波はパルスをセレン整流器で整流していましたが、ゲルマニウム・ダイオードに置き換えたところ、最初は動作していましたが、間も無く壊れてしまいました。こんなに弱いのかと半導体の技術者に文句を言ったところ、技術部長以下数名の方が伝送工場の検査場に見えて、シンクロスコープで証拠写真を撮られた上、「こんなパルスにゲルマを使う馬鹿がいるのか。」と怒鳴られました。気が付くと伝送の方々の姿が見えず、ひとしきり油を絞られた後、引揚げられました。やおら姿を見せた先輩達に「ご苦労様」と言われました。間も無く、ゲルマに代わって、シリコンダイオードが登場して救われました。
我が家では、パソコンだけ液晶になりましたが、未だブラウン管テレビを愛用しています。画質も一応満足だし、一向に壊れそうも無く、この調子ではアナログテレビが無くなるまで使えそうです。
Posted by 大橋康隆 at 2009年06月29日 20:45
林さん,大橋さんコメントを頂戴し有り難うございました。ブラウン管は色々な所で皆様にご迷惑をお掛けしていたようで申し訳ありません。考えてみると本件元の論文のPDFを一部の皆さんには配布したことがあったと思います。二番煎じになって申し訳ありませんでした。
明日からまた東欧旅行に出掛けます。お約束のBraunの事ももう一度良く見直してきます。帰ってから又報告を差し上げます。
Posted by 山崎 映一 at 2009年06月30日 11:01
山崎さんのブラウン管における赫々たる業績に心からの敬意を表します。ブラウン管の初めから終わりまでに関われたと言う言葉が印象的でした。まさに日立のみならず日本を代表する「ミスターブラウン管」だと思います。私は、学生時代に山崎さんの技術者としての素晴らしさを目の当たり見ており、今日の成果も「さもありなん。」という思いで見ております。
 実は私は重電の会社に入れば重電をやるわけなので、学校にいるうちに弱電を出来るだけ勉強しようと思っていました。御多分に漏れず先ず、LPレコード関係から始め、山崎さんに大変に教えていただきました。4年の夏に、17インチテレビのキットを買い、ブラウン管は、シルバニア17BP4Aを使った24球のご大層なものでした。
 回路を一応勉強しながら、回路図を見てはんだ付けを終りました。しかし、回路の調整。特に映像回路の中間周波27MHzの4段のスタガー増幅回路の調整などは、学校の実験室にあるようなオシレーター、真空管電圧計、オシロスコープがなければ、手も足も出ないと思っていました。ところが山崎さんが自分の手持ちのオシレーターを持って来て、回路の中で検波に使用されていた1N60の片方の足を外し、それをこちらの手持ちのテスターのμAの端子に入れ、オシレーターをスキャンしてμAの値をグラフ用紙に書き込み、帯域巾が最大になるように中間周波トランスを調整しました。そうして1N60を元に戻して、火をいれ、目で見ながら最終調整を終えました。この間、口数少なく、素早く終えた技術には本当に驚き今でも鮮明に覚えています。55年前のことになりますが、あらためて御礼申し上げます。
 良い東欧旅行を楽しんでください。
 
 
Posted by 新田義雄 at 2009年06月30日 20:06
 今頃になってコメントを書くのは申し訳ないのですが、素人の質問と疑問です。
 (1)ブラウン管テレビで、シャドウマスク方式とトリニトロンとはどう違うのですか。その特質の違いと技術的比較論を知りたいです。
 (2)我が家で、最近、やっとブラウン管テレビを捨てて、液晶にしたのですが、先入観と偏見かもしれませんが、どうも画質の点で、ブラウン管の方が優れているように感じます。専門家はこの点、どう考えているのでしょうか。
 いつか、機会があったら、こうした点について、我らが専門家諸兄の誰かが、手短に解説してもらえると有難いです。
Posted by 武田充司 at 2009年07月06日 22:35
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。