2010年09月16日

歴史の重み/新田 義雄

1972年に上海で針麻酔による脳外科手術を見て
 
 今、中国経済が隆盛を極め経済にとどまらず政治的にも世界の注目を集める中、上海では開催されている上海万国博覧会で世界の人々を集めている。それにつけても、38年前に上海を訪問し、貴重な体験をしたのをあらためて思い出し、初めて文章にまとめてみる事にした。

 どんな時に歴史の重みを感じるかと言っても、人それぞれの感じ方が違い、また定義の仕方で変わるので色々考えられるであろう。
 今から4600年程前に作られたあの壮大なピラミツドをあげる人もいるであろうし、一方約2000年程前の西安の精巧で雄大な兵馬傭などをあげる人もいるであろう。あるいは欧州のルネッサンス文化の薫り高い町並み、絵画・彫刻他、をあげる人もいるかもしれないし、一方目を我が国に転じれば、2000年に亘る日本民族の歴史の中にそれを見出す人もいるかもしれない。
 私も上に挙げたものを実際に目の当たりにし歴史の重みを勿論感じたし、今でも強く感じているが、一つを挙げろと言われれば、上海で見た「針麻酔による脳外科手術」を挙げたい。それは、あまりにも衝撃的であったのと、過去4000年の歴史、経験が現代につながって生きていたからである。 
 
 1972年6月、日中技術交流の一環として上海を訪問し、先方の電力技術者、大学の教授など電力分野の専門家にこちらの技術の説明をする機会があった。時恰も文化大革命の真っ最中の時期であった、とは言っても既に革命は山を越え、ご存知のとおり、紅衛兵、紅少兵を繰り出した毛沢東主席派の勝利が見え、収拾の段階に入っていたのであろう。振り返ってみると、既に6〜7年にわたり、文化、経済の鎖国状態を続け、取り残されている危機感からか、鎖国状態を限定的に解除して、技術の話を聞くべく外国の会社に声をかけて技術交流と称して会議を開催した様である。しかし日本においては、国交回復前であり多くの制約があったが、とにかく中国入国のための特別な準備をして6月のある日、羽田を出発して3泊4日目に上海に到着し、黄浦江に面した和平飯店の大きな一室に入り、ここに約30日滞在した。この様な経過から訪中したので、何かと厚遇された。準備から滞在、会議、レセプション、出国など今にしてみると貴重な体験であり、まとめると小冊子になるぐらいであるが、ここでは本題に絞って記載する。
 技術交流会議は、半日説明し、半日フリーの予定が組まれており、フリーの時には、揚子江までのクルージングや工場、人民公社見学などをセットしてくれた。あるとき、「フリーの時に行きたいところの希望がありますか?」と尋ねられたので、「針麻酔手術を見せてもらいたい。」といったら「すぐに設定します。」との返事が返ってきた。
 針麻酔手術については、ちょうど出発前、日本でも大きく取り上げられ、中国を礼賛しているグループは神業のように称えているし、純医学的な意見として、従来の麻酔による障害が無くなることは大きな意味を持つが、すべての人に効くかどうか、また意識があるので筋肉弛緩が無いので、内臓手術には適しておらず、脳手術や歯の手術に適しているのではないか、などの論議が新聞にも掲載されていた。
 
 3日後に「明日、針麻酔手術の見学にご案内します。」との連絡があり、翌日その病院に案内された。(その病院は、今のホテルオークラ系の花園飯店に近いと思われ、戦前はフランス系の病院であった。)
 簡単な手術着を着てマスクをして手を洗い靴を履き替え手術室に入った。(少し簡単な感じがしたが。)患者は50歳台の男性で大きな無反射灯に照らされたベットの上に寝かされていた。病状は通訳の説明によると、前頭部にできた脳腫瘍(良性か悪性かの説明は無かった。)が大きくなり、視神経を圧迫し眼が見えなくなっている。したがって、その部分の頭蓋骨に穴を開け、腫瘍部分を吸出して除去し(通訳は、吸出しと言い切除とは言わなかった。事実、吸出しているような音がした。)視力を戻すとの事であった。
 寝ている患者の右頬には既に針(畳針のような針)が1本斜めに刺されており、電線が繋がれ4Hzの電流が流されており、皮膚がピクピクと動いていた。これにより、首から上が麻痺するとの事であった。患者は目をくるくる動かしており、看護婦さんの問いかけに答えていた。
 やがて手術を担当する若い助教授クラスのやり手そうな先生他2名が入ってきて、寝かされている患者の脳天に針を打ち、患者が痛みを全く感じないのを確認し手術を開始した。私はこのとき患者の腕の所に立って見ていたので、手術の手先部分の詳細は見られなかったが、あらかじめ聞いていた手順で進められているのを確認した。即ち、先ず患部の頭皮をはがし、頭蓋骨に開ける穴の周りを手動ドリルで小さな穴をあけ、金槌で中の骨を叩くと骨が中に落ち、それをピンセットで取り出し、丸い穴があいた所から腫瘍の部分を吸い出す作業が続けられた。
 このとき、通訳が私の所へきて、「先日も同じような手術に、欧州から来た大柄な夫妻が見学していたが、ドタンドタンと大きな音がしたので振り返ってみると、二人とも卒倒していました。」と笑いながら言った。
 この間、患者は終始目をくるくるさせ、看護婦さんの差し出した吸い飲みからジュースを飲んだりしていた。
 やがて腫瘍の吸出しが終わったところで、驚いた事に、丸椅子が患者の頭の位置に持ち込まれ、「さあ、新田先生(外国人には先生と言う敬称が使われていたが、中国人同士は、すべて同志(トンジ―)に統一されていた。)これに上がって中を見てください。」といわれたので椅子に上がって見ると、まるで解剖図でも見るように、真っ白い紐のような視神経が、交叉しているのがはっきり見られた。
 最後に、先ほど外した丸い骨をもとのところにおいて、(自然に石灰が出て付くとの事)頭皮を縫い合わせて手術は終了した。この間患者の様子は全く変わり無かった。
 次に通された別室に待機していると、先ほど手術を担当した先生をはじめ病院の幹部が入ってきて、前にずらりと並んで座った。例のとおり真ん中には、革命委員会から派遣された若いパリパリの共産党員が座り、隣に手術を担当した先生、両サイドの末席に、おそらく教授クラスの老先生が終始黙って座っておられた。(察するに、老先生にとっては厳しい時代だったと思うが、下放されなかっただけ良かったのかもしれない。)
 先ず革命委員が立ち、いかに毛沢東主席の指導で病院が良くなったかを、数字をペラペラと挙げて説明した。次いで先ほどの先生が立って、針麻酔について説明した。その要点を記載する。
・ 毛沢東主席の3結合(これは、各方面で出てきた。)のご指導で、中国古来の伝統医学、中国の現代の医学、それに西洋の現在の医学 を組み合わせて出来た。
・ ここに至るまで、多くの試行錯誤を繰り返した。最初は、顔に数十本の針を刺し、(おそらく針のつぼと言われている所であろう。)それを多くの人(いわゆる針師であろう)が色々操作(針をピクピク動かす等)をし、確かめながら効果のある針の位置、状態を見極め、先ほど見たように、右頬下に1本の針を打ち、4Hzの電流(大きさは言わなかった。)を流す事により、首から上だけ痛みを感じなくなることが確かめられた。
・ なぜ効果があるかは不明である。中国針技術4000年の経験に基づくものである。
・ 効果のある人は、50%である。(それ以後数字は上がったかどうか確かめようもなかったが、少なくともそのときははっきりと50%といった。)針麻酔が効いているかどうかは針で確かめ、効いていないときは、すぐにガス麻酔に切り替える。
・ 手術後、麻酔が切れる時間には、再度針麻酔をかける。
この様な話を聞いている途中、部屋のドアが開き、手術が終わって部屋に帰るベット上の若い女性の患者が上半身を起こし、血の気の引いた顔に笑みを浮かべて我々に挨拶をした。この女性は、ここの病院の看護婦さんで、今針麻酔で甲状腺摘出の手術を終わったところだったようだ。(針麻酔のデモではあったろうが、少々痛々しかった。)

 病院を出たあとも、興奮が冷めやらなかった。一部の人は言うかもしれない「文化大革命で、9億の民が全員、毛沢東主席、毛沢東語録によりマインドコントロールされ、よって針麻酔も効くのだ。」と。しかしこの眼でみたのは、手術室には毛沢東語録も無く、毛沢東万歳もなく、ただ頭蓋骨を開かれた人間が痛みを全く感じず、話をし、ジュースを飲んでいた現実があるのみである。果たしてマインドコントロールだけで、あの手術の痛みに平然と耐えられるであろうか。明らかに針麻酔が効いていた事は確かである。先生が言われたように、針技術4000年の伝統の重みを痛感した次第である。
 
 私は、かねがね四大文明発祥の地が、最近まで種々の理由があって先進国から遅れをとっていたのを大変残念に思っていたが、ここにきて中国、インドが目を見張る台頭をしてきたのを、むべなるかなと思って見ている者の一人である。                                    (2010,9,3)
posted by でんきけい at 00:53| Comment(1) | 新田レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
貴重な体験の紹介に非常に興味を持ち、一気に目を通して感嘆しました。残念ながら私は未だ中国を訪れたことがありません。最近は油絵の仲間達が中国を訪れ、様々な景色を描いているのを見て、いずれ訪れるつもりですが、体力の維持が問題です。
針麻酔については、本やTVでよく知っていましたが、1972年に上海で希望して見学されたとは、先見の明がありますね。脳の外科手術は、中国以外の古い文明国でも行われていたようで、手術の痕がある頭蓋骨が発掘されています。どのような麻酔をしたのか興味があります。麻酔とは関係がありませんが、病院で処方された漢方の風邪薬が、初期の段階では私にはよく利き、かつ副作用がないので重宝しており、信奉者になっています。
日中技術交流団については、私の母の思い出があります。1983年8月に、日中技術交流団に数名の空きができたとの情報を、私の母が女学校の友人から聞き、物好きなクラスメート数名と共に旅行会社の添乗員と参加して上海の西方まで見物して、サーカスが素晴らしかったと喜んでいました。
2002年7月に、家内が北京で開催された学会で発表することになり、私も同伴するつもりでしたが、中国語ができないので、一人で旅行や見物もできず、諦めました。家内も学会のアレンジで夜に京劇を観劇しただけで、万里の長城も見ていないそうです。
Posted by 大橋康隆 at 2010年09月18日 00:01
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