2011年10月21日

鎌倉散歩/井村 英一

 今年6月に胃カメラの検査をしたところ、胃がんが発見され、9月2日に入院し、5日に手術、17日に退院した。胃の全摘手術になったが、早期がんということで転移はなかった。

 現在、家で療養している。食べることが一番大変で、少量ずつ何回も食べるという生活に慣れることに苦労している。今回は、鎌倉散歩ということで書いてみる。

 昨年10月、家の近くの地区センターで文学講座(平家物語)を受講していた時、講師の先生が鎌倉を案内してくださるというので、受講生約20人が参加した。この先生は中学校の国語の教師だった人で、81才になるというが、元気で足が速い。受講生は皆、年下だが、やっと付いていった。要所要所で皆を集めて説明してくださるのだが、まさに博覧強記、各々の史跡を鎌倉の歴史を交えてよどみなく話され、時々冗談を言っては皆を笑わせていた。
 主に鎌倉駅の西北の地区を歩いた。12カ所を回った。その幾つかを記す。

〇正宗井・刃稲荷 扇谷一丁目。岡崎正宗という鎌倉時代第一の刀工ゆかりの所。現在24代目が工房を開いている。

〇寿福寺 鎌倉五山第三位の臨済宗の寺で、静かな雰囲気の寺である。この地は源義朝の屋敷跡である。北条政子が創建、仏殿背後の墓地のやぐら内には北条政子と源実朝の供養塔があった。高浜虚子・大仏次郎の墓がある。

〇英勝寺 現存する鎌倉唯一の尼寺である。開基は水戸の徳川頼房の養母英照尼(もとはお勝の方)。 ここは扇谷上杉氏に仕えた太田道灌の屋敷跡である。英勝尼は太田道灌の子孫とのこと。太田道灌は、蓑を借りようとして、少女に山吹の花を示されたが、意味が分からず、歌道に暗いことを恥じて文学の勉強を始めたという話は有名である。

〇水鑑景清の牢跡 平家の武将悪七兵衛景清は、壇ノ浦から逃れ、奈良で源頼朝を討とうとして捕えられ、この牢に押し込められたという。頼朝がその武勇を賞で、家来にしようとしたが屈せず、最後に自害したと伝えられる。近松門左衛門の作品で知られる。

〇源氏山 昼時を過ぎていたが、鎌倉七切通の一つである仮粧坂を、力を振り絞って登った。狭い急坂で、鎌倉が三方を要害堅固な自然の城郭により守られた場所であることを実感した。登り切った所が源氏山である。ここで昼飯を食べた。源頼義が奥州征伐の折、戦勝祈念の白旗を立てた所という。山頂に頼朝の坐像があった。平家物語巻第八にあるように端麗な顔であった。

〇銭洗弁天 いつも通り慣れているトンネルからではなく、旧道を通り、入り口の鳥居、下の宮、上の宮、奥の宮、出口の鳥居と、作法どおりに回った。

〇佐助稲荷 先生が手に持った書類を鞄にしまい、体制を整えていたので、変だなと思ったら、雨に濡れた急坂をどんどん登り始めた。皆、はあはあ言いながら、最もい所まで引っ張っていかれた。
 ここで、山を下り、鎌倉駅まで足を引き摺りながら歩いた。きついウオーキングであった。

posted by でんきけい at 00:53| Comment(4) | 井村レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
誤字を訂正します。
英勝寺の開基を英照尼と書きましたが、英勝尼が正しいので訂正します。
































Posted by 井村 at 2011年10月21日 07:23
胃の全摘をされた由驚きました。しかし早期の対処で転移は無く良かったですね。
私は慌て者で、9月5日に手術で10月中旬にはもう鎌倉の史跡巡りで大丈夫かその間食事はどうしていたのかと心配しましたが、昨年の話と判って妙な安心をしました。
 早く回復され本年82歳の方に負けず各所を訪ねる様になって下さい。
Posted by 小林 凱 at 2011年10月21日 15:36
私が胃癌の手術をしてから11年になります。私も体重が減って、胃の容量が減っただけ食の回数を増やして。いつも手元にビスケットや煎餅が置いてあります。リハビリには身体を動かすのがいいようです。鎌倉でも京都でもNYでも元気に散歩をして下さい。早いご回復を祈っています。お大事に。
Posted by サイトウ at 2011年10月26日 15:26
井村様
 胃の全摘手術をされたとのこと、2,3周遅れの心からのお見舞いを申し上げます。気づきませんで大変失礼しました。
 一日も早い通常の生活に復帰されることを祈念します。
Posted by 新田義雄 at 2011年11月14日 15:46
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