2015年12月01日

先日の60年会で言いそびれたこと/武田 充司

  前回のブログに書いた「リトアニア史余談:モンゴルの東欧侵攻とリトアニア」でもってこの余談シリーズは53本目となりました。
 それにしても、よくもまあ、このようなマイナーで殆ど誰の興味も引かないような話題を50本以上も書き続けたものだと、多くの方から呆れられているのではないかと思い、先日の60年会で言い訳のひとつもしようかと思ったのですが、話が長くなりそうなのでやめました。そこで、改めて、何故あんなものを書き始めたのか、その理由をちょっと書きます。書いている本人以外にはどうでもよいことですが、本人は結構こだわっているのです。

 僕は今から20年前の1995年の夏の終りに、夫婦揃って初めてリトアニアの地を踏みました。原子力の仕事のためですが、仕事の事は省きます。それ以来、リトアニアが2004年5月1日にEUに加盟する直前までの凡そ10年間に亘って、毎年3ヶ月余り、リトアニアの首都ヴィルニュスで夫婦揃ってアパート暮らしをくり返しました。さらに、1997年からは、リトアニア政府に頼まれた新たな仕事も加わって、これとは別に年3回、リトアニアを訪れることになりました。そんなわけで、リトアニアと日本の間を頻繁に往来し、しかも、毎年3ヶ月以上も夫婦でリトアニアのアパート暮らしをするという多忙で奇妙な状況が10年ほど続きました。
 その間にリトアニアの各地を訪れ、多くのリトアニアの人たちと会い、友達になりました。そのとき、せっかくこういう機会に恵まれたのだから、この国とこの国の人々の歴史や文化をできるだけ深く理解して、彼らの身になって仕事をしようと思ったのです。そこで、自分の専門や仕事とは関係のないことでも、片っ端から聞きかじり、調べ、資料や文献、本などを集めて、毎日、せっせとメモ帳に整理して記録しました。それがどんどん溜まって、何処に何が書いてあるか探すのが難しくなってきたので、その頃、やっと覚えたパソコン(WINDOWS 98)を利用して情報の整理を始めました。このとき、整理の座標軸として時間をとったので、それが結局、粗雑な私家版リトアニア史の原型になりました。

 それ以来20年近く、ほぼ毎日、平均して約2時間、パソコンに向かって私家版リトアニア史を書き続けているのですが、現在、それが溜まってWORDの標準ページ(40字×36行=1440字/頁)で1650頁という膨大なものになってしまいました。これは400字詰め原稿用紙にすると6000枚近くになりますが、いっこうに終りが見えてこないのです。というのも、あまりに多岐に亘って詳細に調べて書いているためなのですが、それは、これまでの伝統的な各国史ではないリトアニア史を書きたいという僕の当初からの思いを実現しようとしたからです。
 僕が考えたことは、ひとつの国の本当の歴史は、周辺諸国や、もっと広い周辺地域全体の歴史との相互作用の中にこそ存在するのだということです。ですから、リトアニア史を画面いっぱいに描くのではなく、広い余白に描かれた周辺諸地域の歴史という大きな背景の中にリトアニア史を描き込みたいと考えたのです。その結果、ポーランド、ロシア、ハンガリー、などの中東欧諸国は勿論のこと、北欧や一部の西欧諸国の歴史、さらには、中央アジアやイスラム世界も含め、リトアニア史の理解を深める助けとなる史実は容赦なく詳細に調べ上げて書き込んだ結果、思いもかけない膨大なページ数を費やすることになったのです。その結果、これではもう生きているうちにこのリトアニア史を完成させることは不可能だと悟ったのですが、それだけでなく、自分が書いたものを読み返し校正することすら困難な代物になり、こんなべら棒なリトアニア史など誰も読んでくれないだろうと思うようになりました。
  これでは、リトアニアのことを少しでも日本人に理解してもらって世話になったリトアニアの友人たちに報いたいという僕の気持ちも満たされない。何かよい便法はないかと考えて思いついたのが、この膨大な原稿を利用して、その中から適当なリトアニア史の話題を選んで、普通の人にも読んでもらえそうな独立した短い読み物を次々にシリーズ物として書いてみるということでした。ところが、その気になって書き始めようとしたら、3.11の福島事故が起り、廃業しかけていた本業が忙しくなり、この構想は棚上げとなりました。しかし、福島事故から1年経ってようやく少し落ち着いたので、2012年の4月に最初の余談「ナポレオンの丘」を書いてブログに投稿しました。それから今日まで、ついに53本の余談を書きましたが、これでやっとリトアニア史の輪郭が描けたので、これからがいよいよ本番で、リトアニア史の目鼻立ちを描き込む佳境に入ることができると思っているのです。しかし、もうこの年齢ですから、何時まで気力と体力が続くか、あと50本は書きたいし、書けるだけのネタも充分揃っているのですが、どうなりますか。

 それにしても、本来の企てである独自の構想に基づく私家版リトアニア史を書き続けることと、余談シリーズを書くこととの時間と労力の配分には悩まされます。余談は本文と蛇足を合わせてA4の紙1枚に入ることを鉄則としています。本文が約1ページで、裏の2ページ目に蛇足を本文より小さい文字(9ポイント文字)でベタに書いて終りにするスタイルで全ての余談が統一されています。これは、余談を集めて一冊の小冊子を作ったり、余談をバラバラに利用するときの便宜を考えてのことです。しかし、この制約(1話1枚の鉄則)の中で達意の余談を書くことは容易でなく、それが大きなストレスとなっていて意外にエネルギーを消耗するのです。
 やはり本当に楽しいのは、とことん調べて独自の私家版リトアニア史を書き続けることなのですが、長年つき合ってきたリトアニアの友人たちや懐かしいリトアニアの風景を想い浮かべると、1本でも多く余談を書いてリトアニアの紹介と宣伝をしてあげたいとも思うのです。全く以って、「書くこと」そのものが目的のような気楽な道楽にも、あれこれ悩みが付きまとうというのは、何と滑稽で悲しむべき人間の性(さが)なのでしょうか。

posted by でんきけい at 00:00| Comment(1) | 武田レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
武田兄のリトアニア史には大変刺激を受けました。そのおかげで、2013年6月にバルト3国のツアーに参加し、リトアニアを訪れることができました。現地で善良なリトアニアの人々と接してみると、厳しい歴史を背負ってきたとはとても思えません。地政学からみれば、大国に挟まれた地理的条件から、想像を絶する試練を受けたのでしょう。日本はこれまで島国で、地続きの国境を持たず、恵まれていましたが、これからは空路を通って容易にアクセスできるので、飛躍的に厳しくなると思います。リトアニアの歴史を学ぶことは、平和ボケになった日本人にとって非常に大切であると思います。武田兄のリトアニア史が益々佳境に入ることを期待しています。
Posted by 大橋康隆 at 2015年12月01日 17:39
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