2016年03月01日

京都、六道珍皇寺を訪ねました/斎藤 嘉博

  京都の冬は本当に寒い。雪が積もることはあまりないようですが冷たい北風が肌を刺します。こんな時期には観光客もまばら。
  そこで客を集めるためでしょうか、あるいは人数はすくなくても関心の深い方たちにゆっくりと鑑賞して頂こうと言う親心からでしょうか、この時期多くの社寺が普段は観ることの出来ない秘仏、宝物などを特別に公開するという催しがもうずっと長いこと続いてきました。
  今年も1月〜3月の間は“京の冬の旅”、というわけでまた、そうだ京都に行こう!と。今回の第一の目的は「六道珍皇寺」の秘宝拝観です。京都にお住まいだった方はよくご存じでしょうが、一般の観光客にはやや馴染みの薄いお寺です。場所は清水寺から西に坂を下がったところ。西国17番札所の六波羅蜜寺のすぐそばです。  寺のご朱印とパンフ(55%).jpg
寺のご朱印とパンフ 

  世界遺産に登録されている東寺や金閣寺とはちがって田舎のお寺と言った感じの朱門の前に「六道の辻」と書かれた石が目立ちます。六道とは地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天となづける冥界の町名。清水寺辺りから南の一帯は鳥辺野と呼ばれて、平安時代には北の蓮台野、西の化野(アダシノ)とならんで墓所だったところ。落語や芝居でお馴染みのように、庶民は亡くなると丸い桶に入れてここまで運ばれて埋葬され、高貴な方たちはその南寄りの地に大きなお墓が作られるのでした。ということで六道の地はこの世とあの世の境界の地として知られてきたのです。お寺、正面障子格子の玄関をはいるとすぐ本堂で、床の間に大きな中国明代の道教の美術画「焔口餓鬼図」が掛けられています。

  そして隣の部屋に架けられているのが江戸時代の作と言われる「熊野観心十界図」。幅1mほど、やや縦長の軸に描かれているのは先の六道。下から2/3ほどのところに霞がたなびいており、ここから上は天界、人間界。日月の光に照らされた山上の阿弥陀様を中心に、祈りあるいは飛んでいる仏と人の姿が画かれています。そして霞から下が地獄。生前他人を恨んだり呪ったりしたものが行く黒縄地獄、殺人、盗みなどの悪事を働いた罪に問われる叫喚地獄などの絵柄。鬼に猛火の中へと追いやられるもの、血の池に溺れるもの、釘の山を歩かされるもの、杭に縛られて舌を抜かれるものなどなどの様子が一杯に描かれています。昔の人はこれを観ながらこんなにコワイ地獄には行きたくないと一心に念仏を唱えたのでしょうか。しかしこの地獄の様々な仕掛け、私にはなんだかディズニーランドやUSJといったテーマパークのように感じられて拝見していました。気持ちの持ちようによっては地獄もなかなか楽しいところかもしれないナと。

  このお寺、御本尊は薬師如来ですが、次の部屋には大きな閻魔大王坐像が鎮座しておられます。この木像は小野篁の作と伝えられるもの。篁(タカムラ)卿は百人一首にも“参議篁”として「わたの原、八十島かけてこぎ出でぬと 人には告げよあまの釣舟」の歌を詠んでいる方。参議とは今の時代だと大臣とか長官といったところでしょうか。武芸に秀で学者、詩人、歌人として大変有能な方だったようですが、反面なかなか気の難しい方のようで、上の歌も遣唐副使に任ぜられたとき大使の藤原常嗣さんと喧嘩して嵯峨上皇の怒りを得、隠岐の島に流される時に読まれたものでした。この篁さん、閻魔様と大変馴染みで、昼間は朝廷で執務をしながら夜になると閻魔庁に出向いて閻魔様の補佐をしていたとか。
  そこへの通い道になっていた深い「冥途通いの井戸」がこの寺の庭の一隅にあるのです。さらに近年になって隣接の民有地に彼が冥途からの帰り道にしたという「黄泉帰りの井戸」が発見されて話はいよいよ真実味を帯びて来たのでした。この井戸(写真)は随分深く、100mほどもあると言われ、豆球が井戸の中にぶらさがっていて深さを見せてくれていました。冥途帰りの井戸(55%).jpg
冥途帰りの井戸

  こんな話題に包まれたお寺ですので、盂蘭盆会の前、8月7日からの4日の間、仏の魂を迎えるためにこのお寺に参詣する“六道詣り”は京都の風習だそうで、その折には“迎えの鐘”が撞かれます。

  しかしこの寺を一歩出ればもう現世。街角の古びた店の前にこの辺りの名物菓子「幽霊子育て飴」の幟が風に揺れてなんとなく名残を示しているほかは、人々が忙しく往き来し、タクシーが走る現代の世界でした。こうして黄泉の国の様子を少しばかり覗くことが出来ましたが、世間の学者、研究者たちは、人間のあるいは生物の起源を知ろうと、大きなお金を投じて宇宙に衛星を送り出したりしているのに、我々の未来、死後の世界がどうなっているかについては宗教的な話ばかりで、一向に科学的な分析、研究をしようとしていませんネ。冥界との通信を研究するなどもっと人間自身の行く先に目を向けてみることが必要だとおもうのですが、やはり難しいのかナ。

  (注): 珍皇寺の迎え鐘に対して8月16日に寺町通りの矢田寺(矢田地蔵)で送り鐘が撞かれます
posted by でんきけい at 00:00| Comment(0) | 斎藤さんのお話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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