2016年09月01日

ドライブ/斎藤 嘉博

  先日運転免許証の更新を受けました。家内や娘たちは「もうやめたら」と言っていますが、更新に先立って受けた高齢者テストでは総合点が92点でしたので、本人はまだ大丈夫、これからドライブを楽しもうなんて思っています。
  私が最初に免許を得たのは1957年でそれからもう60年。当時免許試験場は品川の鮫洲。海に近い荒涼とした試験場で、もちろん車はマニュアル、フォードのぽんこつ車でした。途中のランプで一時停止して坂道発進。しかしサイドブレーキでは車が止まらず、隣席の試験官が足元のブレーキを踏んで、そこからの発進でした。いまならとても車検に通らない車でしょう。それ以来レンタカーを借りて、あるいは子供のころには持てるなんて思ってもみなかった自動車を買って、国内外をドライブしました。

  これまでに一番印象に残ったドライブはアメリカでの二つのドライブです。最初は1967年の正月。私がMITに留学していた時の冬休みでした。まだあまり馴染みがなかったアメリカ大陸をボストンからマイアミを経由してニューオリンズまで、米国到着早々に買った$100の車で(この時のレートは$1/\360)走りました。この時の相棒はNHKで科学技術産業部のディレクターをしていましたN氏。後に山科研究所の理事もされて鳥を中心に動植物には大変詳しいこと。いろいろと教えて頂いたおかげで土地が変わるたびに変わる自然を科学的に眺め、楽しむことができました。
  ノースカロライナから州境を超えてサウスカロライナに入った瞬間に水辺にサルオガセが多くなって植物の生態の様子が変わり南国らしい様相が展開します。IS95号線に平行して走る国道17号線を走っているときでした。N氏が「あ!スカンクだ。踏むなヨ!」と大きな声。60MPHで走っていましたが、わたくしもハットしてそのうえを踏むことはなく通過。その瞬間にすごい悪臭が車内に漂いました。「ワーひどいっ!」と顔を見合わせましたが、もしあれを踏んでいたら悪臭は後々まで続いたに違いありません。しかし道のかなり遠くにあるポツンとした黒点がスカンクと分かるなんて。大いに感心したものです。マイアミで遊んで大きな橋のあるタンパ湾を抜け、ニューオリンズまで大変勉強になる楽しい12日間のドライブでした。

  二つ目の印象は2003年10月。家内と二人の、グランドサークルと呼ばれるネヴァタ、ユタ、アリゾナ三州にまたがる赤土の地帯でのドライブ。ここにはグランドキャニオンをはじめ国立公園、国定公園、レクリエーションエリアが沢山集まっています。写真1ブライスキャニオンのビュート群(60%).jpg
ブライスキャニオン
のビュート群
  ラスヴェガスでレンタカーを借りて赤土の尖塔が林立するブライスキャニオンへ。ここでは谷の中に降りて林立する赤土の柱を下から見上げることができました。そしてその隣の渓谷のきれいなザイオン国立公園。多くの人が行くグランドキャニオンとは峡谷を隔てた北側のノースリムでは素晴らしい黄葉を見、南からとは違った渓谷の展望をみることができました。フーバーダムで有名なミード湖のもう一つ上流にあるグレンキャニオンダムによって造られたパウエル湖では湖の上にかかった満月。その奥にあるナチュラルブリッジ国定公園。
写真2モニュメントバレーで(60%).jpg写真3二人のナガーイ脚(60%).jpg写真4ミッチェルビュートの後ろに沈む夕日(60%).jpg
モニュメントバレーで二人のナガーイ脚
ミッチェルビュート
の後ろに沈む夕日 
  ジョン・ウェインの西部劇で有名な赤土の舞い上がるナバホ居留区のモニュメントバレーではビュートの後ろに隠れていく夕日、それに作られたナガーイ私たちの影と翌朝の朝の日の出はすばらしい光景でした。最後にグランドキャニオンサウスリムでは、途中まででしたがロバの道を谷下へと下ってみました。この間のドライブは16日間で1,613マイル、東京と熊本を往復する距離でした。まだ若かったのですネエ。
  2006年制作のディズニーアニメ「カーズ」をご覧になると、上記の赤土の世界をドライブする感じの一端を知ることができます。この映画はジョン・ラセッター監督がルート66を題材にして「旅は人生のごほうび」という気持ちを描いたもので、IS40の開通でほとんど使われなくなってしまった往年の名道、ルート66沿いの小さな町ラジエータースプリングスでの出来事を描いたものです。写真5カーズのビデオカバー(40%).jpg
カーズのビデオカバー
  ジョンは「ドライブは楽しみに行くのではなく楽しみながら行くのでなくては」と訴え、往年の名ドライバー、ハドソンホーネットへの尊敬を込めて、人生には目的を遂げることよりもっと大切なことがあると教えています。私の好きなアニメの一つで、カーマニヤのかた、ドライブの好きな方、ぜひ一度ご覧になるといいと思います。

  上記の長距離ドライブではオートドライブがけっこう役に立ちました。現在は運転不要の自動車の開発が盛ん。やがて、いや意外に早くほんとうにだれもがハンドルを握らずに行きたいところに行くことができる日がやってくるでしょう。しかしちょっとしたコンピューターのバグで大事故の連鎖が起こるかも。交差点の辺りで不法電波を出してコンピューターを混乱させたら大渋滞が起こるかもしれません。そんなことを考えながらこれまでのドライブの楽しさを想い出しているのです。

posted by でんきけい at 00:00| Comment(2) | 斎藤さんのお話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 私も、今年3月に免許証更新をしました。最初に免許証を取得したのは、1965年、33才の時ですから今年で51年目です。毎日の買い物や月一の花便りの取材などに便利に使用しています。お互い事故など起こさぬよう、安全運転に心がけましょう。
 運転不要の自動車の宣伝がTVをにぎわしていますが、このような車は新しい種類の事故を起こす可能性を秘めていますので、私は乗りたくありません。
Posted by 高橋郁雄 at 2016年09月02日 11:30
私も来年1月に免許証更新のため、今年12月に近くのKモータースクールに試験を予約しています。実は、数年前から運転はしていませんが、マンションに住んでいるので、駐車場を家内が使用するには、名義を書き換えると権利が失われます。家内から、高齢者テストで失敗しないように言われています。斉藤兄のお話には感服し、かつ安心しました。私は1961年の留学直前に免許証を取りましたが、寮生活でしたので運転の必要はありませんでした。家内は結婚してから、星の数ほど教習所に通って免許証を取りましたが、今から考えるとよかったと思います。更に教習所で成績不良の女優さんと親しくなり、最初は森光子さんの「雪まろげ」を母も一緒に3人で観劇して、楽屋も訪れました。その後、山田五十鈴さんや淡島千景さんなども観劇する機会がありました。
Posted by 大橋康隆 at 2016年09月02日 21:29
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