2016年10月01日

生田の日本民家園/斎藤 嘉博

  7月のある日、生田緑地にある日本民家園を訪ねました。1万坪ほどの丘陵地に25棟の民家が保存されています。
  こうした古い民家を保存、展示する施設は小金井にある江戸東京博物館の建物園、犬山の明治村などあちこちに見られます。もちろん海外にも。ストックホルムのスカンセンは世界初の野外博物館ですし、アメリカ、ヴァージニア州のコロニアルウィリアムスバーグは南北戦争の頃をベースに大変大規模に街づくりがされています。いずれも各施設には当時の衣装を着た方が機を織ったり料理をしたり。生田の民家園はそうした大規模なものと比べるわけには行きませんが。

  ビジターセンターを出て坂を少し上がったところに三沢家住宅があります。中山道沿い、伊那のかなり大きな農家で薬の販売を副業にしていたお家といいます。土間につづくリビングの中心に囲炉裏が切られていて、ボランティアの方3人が火を囲んでおられました。「もう今の若い方は囲炉裏を知らないんですから」と。
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チロルの民家園
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生田の民家園の建物
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三沢家の囲炉裏
  水車小屋を通り過ぎた少し奥にある山下家住宅は飛騨白川にあった合掌造りの藁屋根。囲炉裏のある“オオエ”(居間)に続いて“デイ”と呼ばれる客間がいくつかあり、さらに合掌造りの高い屋根裏には二階、三階と養蚕などをする空間がひろがっています。かなり裕福なご家庭だったのでしょう。沖永良部にあったという高倉(梯子で上がる屋根裏を食料の貯蔵庫などとして使用する蔵)や志摩半島の漁村で使われたという舞台小屋などもあってゆっくりと散策するにはかっこうの楽しい公園でした。

  歩いているとそうした民家が懐かしい昔の記憶をよみがえらせてくれます。父の実家は京都から汽車で1時間、亀岡の駅からさらに1里を歩いた西国21番穴太寺のすぐ近くでした。子供のころはほぼ毎年夏休みにここにきました。玄関のわきにはちょっとした庭があってきれいな杉苔が沢山生えており、おばあちゃんが毎朝仏壇に手を合わせて観音経を唱えていましたっけ。昼は近所の子供たちと小川で泥鰌をとったり田んぼのなかを走り回ったり。

  90年近くも生きているとその間の生活の変化には今では想像もできないことがあります。その田舎では夕方6時にならないと電灯が点きませんでした。車もなし電話なんてもちろんなし。近頃の生活はどこにいても大変便利になりましたが、薬に副作用があるように技術の進歩の裏には必ず害が伴います。空気も水も汚れるし、天気は荒れるし。ノーベルがいくら反省しても技術の進歩と公害の拡散はひろがるばかりです。昔はおじいさんは山に柴刈におばあさんは川で洗濯と、人の生活と自然が一体になっていました。「昔はよかった」は年寄りの愚痴でしょうか。

  そうしたなかでこれだけは昔にもどってほしくないナと思われるいくつかのものがあります。その一つが上水道と下水道の普及です。川の洗濯はともかく水の源は井戸でした。台所での水仕事、風呂の水くみはすべて井戸をくみ上げては重い桶で運びます。樋を使って台所に水を通す工夫がされました。
  そして下水、トイレ。古い民家あるいはお城や離宮といった高位の方の屋敷を観るときにも気になるのがトイレです。件の父の実家でもトイレは外。子供心に夜の用足しがすごく怖かったことを覚えています。それ以上にぼっちゃん!仕組みの大便器。することも臭気も一通りではありませんでした。上下水道の普及は明治も中期になってから。19世紀初頭のパリでは夜中にした用便を朝二階、三階の窓から道路に投げ落とすのが習慣だったようです。パリの街の大改革がはじまったのはそのためにコレラが跋扈してから。東京では明治、大正の時代には汲み取り式、近郊の畑の肥料にするために肥桶をのせた車が九段坂を上がるのは大変な苦労だったと言いますし、我が家でも戦前は月に一度ほど汲み取りの人が来て桶で壺から汚物をくみ出していました。それが水洗式になると臭気はなくなるし、さらに洋式の便器になってしゃがむ苦労が解消され、ウォッシュレットになって痔の気があるわたくしには大変気持ちのいい時間になりました。
  小平、津田塾大学の近くに下水道博物館というのがあります。小さな博物館ですが入って狭い階段を下りると下水道の本管を観ることができます。むっとした湿度の高いコンクリートパイプを昔懐かしい臭気を伴った水が滔々と流れています。朝の9時ごろの水量が一番多いとのこと。各家で風呂の水を抜くのが原因なのだそうです。災害の時にまず問題になるのが飲み水とトイレの汚物を流す水。上下水道の大切さがわかります。人間の身体だって上下水道、つまりよい血流が健康の源。昔から針、灸がその流れを支えてきました。

  これからも技術の進歩はとどまるところを知らないでしょう。しかし別に電話がなくても、車がなくても、そしてテレビがなくてもスマホがなくても静かになっても不自由はなし。戦争や略奪がなければ自然と暮らす昔の人のほうが幸せと思うのですが。生田の民家園を歩きながらそんなことを考えていました。
posted by でんきけい at 00:00| Comment(2) | 斎藤さんのお話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
リトアニアにも、民家を集めて展示している広い公園があります。日本からお客さんが来ると、時間があれば、そこに案内したので、何回も行きましたが、何回見ても飽きない楽し公園でした。その後、仕事で、ウクライナのキエフに滞在したときも、キエフ郊外にある民家を集めた広大な公園に行きましたが、これも本当に興味深い、そして、楽しい公園でした。
Posted by 武田充司 at 2016年10月12日 18:59
リトアニア辺りには行ったことがありませんが、科学博物館に北ユーラシアにあったマンモスの骨で作った住居が展示されていました。そんなのがあるとおもしろいでしょうネ
Posted by サイトウ at 2016年10月17日 10:30
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