2017年01月01日

五重塔/斎藤 嘉博

  京都には四つの五重塔があります。東寺の塔が一番高くて55m。二番目に高いのが八坂の塔。
  清水寺から三寧坂を下りていけばいやでも目に入る法観寺の塔で高さは46m。聖徳太子の創建と言われている塔ですが何回も火災にあって現在のものは徳川時代の作といいます。3番目が山科の醍醐寺(38m)、4番目が嵯峨の仁和寺(36m)といずれも四季折々に優雅な姿を見せてくれています。

  昨年醍醐寺と東寺、二つの国宝の塔内を拝観することができました。
  東寺の塔は東海道線の車中からも望見できるなじみの深い塔です。そして寒い2月はお寺の秘仏を公開してくださる時期で、東寺では昨年、五重塔と曼荼羅を所蔵する灌頂院が公開されました。開扉された五重塔の中に入りますと密教の最高仏、大日如来に見立ててどっしりとした塔の心柱、その四隅に四如来(阿閦、宝生、阿弥陀、不空成就)と八大菩薩が安置されています。ブログ五重塔東寺(55%).jpg
東寺の塔
  如来の四仏がこの高い五重塔をしっかりと支えているのだといった感じを受けます。柱には曼荼羅図が描かれていたそうですが今はほとんど見えません。平安遷都時に東寺と西寺が作られた頃はコンピューターもなし、クレーンもなし。このような高層ビルを作るには並大抵の苦労ではなかったでしょう。幸田露伴の小説に書かれている十兵衛のようにまさに棟梁の真剣勝負。建設以来火災、落雷で4度の焼失を見たそうですが地震にはしっかりと耐えてきたのでした。現在の塔は1644年、徳川家光の寄進で竣工した五代目。しかしずっと古来の形を守って再建されてきたそうで、その美しい姿を振り返りながら帰途につきました。

  京都市の南、伏見区にある醍醐寺を訪れたのは暑い七月、真夏の日照りが厳しい日でした。醍醐寺というと誰でもまず豊臣秀吉が作庭した三宝院を思い浮かべるでしょうが、五重塔は静かな森のなかに建てられ、応仁の乱にもその焼失はまぬかれてきた京都府最古の木造建築物。ブログ五重塔醍醐寺(55%).jpg
醍醐寺の塔
  醍醐天皇のご命日である毎月29日は「五重大塔供養」の日で、午前、午後の二回、開扉されて内部を拝観することができます。まず金堂にお参りしてここで「観世音南無仏与仏有因……」と四十字の高王十句観音経の写経をします。これを持参して五重塔へ奉納、拝観するという手順。塔の中では4人の坊さんが四辺に置かれた醍醐、朱雀、村上天皇と穏子皇后、四柱のご位牌に向かって読経をされているところでした。塔の内部には両界曼荼羅が描かれているのですが、内部に入ることは許されませんのでしっかりと見ることはできません。しかし真言密教の息吹というよりはなにか明るい雰囲気が感じられる初層でした。昔、昭和51年にこのお寺を訪れたときには山上の上醍醐まで上がって西国11番の准胝堂にもお参りしたのですが、残念ながら今の私にはもうあそこまで山登りをする元気はありません。霊宝館に安置された仏様を拝んで退寺しました。

  こんなこともあってでしょうか、私の誕生日に娘が五重塔のウッドモデルを贈ってくれました。この頃は素材をレーザーカットしたかなり精巧なモデルが主流になっているようです。A4版の大きさで厚さ1.5mmほどのベニヤ板が6枚。これに五重塔制作のための266個の部品がレーザーでカットされています。基礎部分から順次切り離し、組み立てていくのですが、私が感心したのはその構成のうまさとカットの精密さ。この部分は後で外すことが出来るようにすこし緩い嚙み合わせ、ここはきっちりとした組み合わせと細かく区別されています。ブログ五重塔模型(39%).jpg
組立てたウッドモデル
  その差は多分百分の数ミリといったところだと思います。屋根の部分は細い溝が入れられていてしなやかに曲げることができ、東寺や醍醐寺の五重塔にみられる美しい絶妙なカーブが再現されるようになっているのでした。出来上がったものを見上げるような角度から写真に撮るとなかなか感じの出る出来でした。
  
  昔作った箱庭にも藁屋根の家や土橋などと一緒にかならず陶器で作った赤い小さい五重塔があったのを覚えています。那智の滝と五重塔の組み合わせも絵になりますね。世界の国々には様々な塔がありますが、五重塔ほど繊細、優美にできている塔はないのではないでしょうか。

  今年の諸兄の明るい日々を五重塔に祈りながら
posted by でんきけい at 00:00| Comment(0) | 斎藤さんのお話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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