2017年03月01日

インスブルックからクフシュタインへ/大橋康隆

  2000年8月12日朝7時にザルツブルクを列車で出発し、3時間半でインスブルックに到着した。
  駅の近くのホテルにリュックを預けると、旧市街の南東部から西に少し歩き、凱旋門から北上してアンナ記念柱を通過してイン川に到着した。(写真1)さらに川沿いに北上してフンガーブルクバーン谷駅からゼーグルーペでロープウェイに乗り換えハーフェレカーに登った。残念なことに、昨日からカメラのシャッターの調子が悪く、帰国後パノラマ写真は白紙であった。 午後は、バスで20分のハル・イン・チロルを訪れたが、ハーゼック城の写真も白紙となった。その時は気付かなかったので、急いで旧市街に帰り貴重な写真を撮影したが、生き残った中で紹介できるのは、ホテル・レストラン・ゴールデナー・アドラー(写真2)だけである。昔ゲーテも宿泊したホテルである。当地の象徴である黄金の小屋根やアンナ記念柱も白紙となってしまった。これに懲りて、帰国後デジカメを購入した。
写真1イン川沿いの家並み.jpg
写真1イン川沿いの家並み
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写真2インスブルック市街
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写真3クフシュタイン城塞
  8月13日朝7時にインスブルックを列車で出発し、1時間でクフシュタインに到着した。(写真3)駅のロッカーにリュックを預け、近くのイン川の橋を渡りクフシュタイン城塞を訪れた。城内は郷土博物館になっており、昔の城塞の模型も展示されていた。丘上の城には、世界一大きなパイプオルガンがあり、演奏台は麓の城の入口(写真4)の左側の建物の中にある。毎日12時に演奏があり、城塞全体に響き渡る音響はものすごい迫力で、貴重な体験をした。演奏後、市街観光をした。イン川上流の古い町だろうと想像していたが、洗練された市街を眺めて意外であった。(写真5)(写真6)いささか厳しい旅行計画であったが、14時にクフシュタイン駅を列車で出発し、ザンクト・ヨハンで乗り換えて、17時20分にツェル・アム・ゼーに到着した。
写真4城塞入口.jpg
写真4城の入口
写真5フークシュタイン市街.jpg
写真5クフシュタイン市街
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写真6クフシュタイン市街
  8月14日朝ツェル・アム・ゼー(写真7)からバスでロープウェイの麓駅まで行き、シュミッテンヘーエ山頂駅(1,965m)まで登った。ここからのパノラマ風景は素晴らしい。ロープウェイの乗客は皆大きな荷物を担いでいたが、山頂でその理由が分かった。(写真8)(写真9)山頂に到着するや、皆荷物を取り出してパラグライダーの翼を広げ、次々と飛び立って行った。アルプスの天空を埋め尽くすようにパラグライダーが飛んでいる光景は壮観であった。(写真9)の丘は、ツェル・アム・ゼーのリフト乗り場から、ツェラーベルクバーンで登るガストホーフ・ミッテル駅(1,325m)で、左下にツェル・アム・ゼーの町の一部が写っている。
写真7ツェル・アム・ゼー.jpg
写真7ツェル・アム・ゼー
写真8パラグライダー.jpg
写真8パラグライダー
写真9パラグライダー.jpg
写真9パラグライダー
  旅行前、ツェル・アム・ゼーから近いカプルンを訪れ、ケーブルカーでキッシュタインホルン山上駅(3,029m)に登る計画を検討していた。しかし、私が55才の時、会社で一過性虚血性脳発作で救急車で病院に運ばれ、退院の時、2,000m以上の山には登らぬように注意されていたことを思い出したことと、ケーブルカーの途中で3.3kmの長いトンネルがあり、何となく危険を感じたので、シュミッテンヘーエ山頂駅に登ることにした。ところが、帰国して3ケ月後の11月11日に、カプルンのケーブルカーがトンネル内の火災事故で155名(日本人10名)の方々が犠牲となる悲劇が起きた。詳細はインターネット「オーストリアケーブルカー火災事故」に報告されているので、安全に関心のある方は一読をお勧めしたい。

posted by でんきけい at 00:00| Comment(0) | 大橋レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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