2017年06月01日

オールド・ヴィカリジ・ホテル/武田 充司

  イングランド中西部の工業都市ウォーリントン(Warrington)は、近くのマンチェスターなどと同じように、当時は街全体が煤煙で真っ黒にすすけていた。そのウォーリントンの町外れにオールド・ヴィカリジ・ホテルという小さなホテルがあった。
  ヴィカリジ(vicarage)とはヴィカー(vicar)の館という意味だが、英国ではヴィカーは教区司祭のことで、昔は、rectorという教区司祭とは異なり、十分の一税ではなく、俸給をもらって生活していた身分の聖職者だったとか。このホテルの道ひとつ隔てた向かいには古びた教会があったから、このホテルは昔その教会のヴィカーが住んでいた館だったのだろう。

  カンバーランドのシースケールで過ごした4ヶ月の静かな生活が突然終り、10月初めの冷たい雨の日に、ひとりで車を運転してこのホテルに辿り着いた。受付のある本館にはバーと狭い食堂があり、2階に客室が幾つかあったが、それでは部屋が足りないらしく、あまり手入れのよくない庭の向こうに離れの建物があって、そこにも客室があった。5週間という比較的長い滞在予定だったから、静かな離れの一室に落ち着くことにした。

  その頃からビールを飲まなければ1日が終らない習慣が身についていたので、シースケールのインに居たときのように、夕食前の1時間はホテルのバーで重たい1パイントのジョッキを傾けてビタを1、2杯飲んでいた。バーは初老の婦人がひとりで切り盛りしていたが、毎日、殆ど客もいないので、この女将と雑談をして時を過ごした。2年前にアメリカで10ヶ月ほど過ごしたので英語で話をすることには少し慣れていたが、彼女は時々こちらの話を遮って、「それはこういう言い方をするとよい」などと注意してくれた。

  こうして、毎日、夕方になると女将との会話が楽しみでホテルのバーでビタを飲んだのだが、いま思えば、彼女から多くのことを教えられた。しかし、それから随分経って、あのホテルのことを英国の友人に尋ねたところ、もうとっくに廃業してなくなっていると聞かされた。
posted by でんきけい at 00:00| Comment(1) | 武田レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
このブログにイングランドが登場する機会は少ないので、このお話は懐かしさを感じました。私はWarringtonへ行ったことはありませんが、1990年ころBirminghamへ度々行きました。武田さんの時代は何時ごろかなと思って居たら、偶々今月受講している教材が1960年代に撮影されたと思われる映像で、SheffieldからMancester周辺の工場と住宅群を見て、若しかしたら似た時代で、便利な所に良い環境の部屋を借りるのに努力された事も有ったかと想像しました。
 しかし風情あるバーで女将との会話が楽しめて良かったです。私の場合年齢も60歳近くパブで1pintのビターを重ねるのは多過ぎて、白ワインのグラスが主でした。
Posted by 小林 凱 at 2017年06月07日 17:34
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