2018年02月01日

九十歳何がめでたい/齋藤 嘉博

  明けましておめでとうございます。パソコンの故障で新年のご挨拶が遅れましたが旧正月ということでお許しをいただきたいと思います。
  年が改まるとさて今年はとか、これからの行く末はと考えるのが習わし。未来予測というとよく取り上げられるのが1901年の正月に報知新聞に掲載された予測の記事です。明治34年、それは20世紀の始まりの年でした。元旦は新聞がお休みですので2日の紙面の冒頭に“二十世紀の報知新聞”との見出しで「新年といへば世事、人事、すべて新しき色彩を添えたるの如き感あると共に冀望洋然として…」と書き出して世紀初頭の各国主権者、明治天皇、ニコラス二世陛下、英吉利国女帝ヴィクトリア陛下、米国大統領マッキンレーなどの似顔絵がならんでいるのです。今から120年前の話。紙面全体に世の中が20世紀にかける意気込みが感じられます。そして3ページ目に二十世紀の豫言として「十九世紀はすでに去り人も世も共に二十世紀の所舞臺に現れることとなりぬ…。世紀列強の形成の変動は先づさて措きて…」と件の予測記事。

  そのなかからいくつかをご紹介しましょう。我々に関心の深い無線電信及電話の項では「無線電話は世界諸国に聯絡して東京に在るものが倫敦、紐育にある友人と自由に対応することを得べし」その通りになっていますネエ。翌日1月3日の新聞には豫言(二)として続きがあり「十九世紀に発明せられし葉巻煙草形の機関車は大成せられ〜東京、神戸間は二時間半を要し〜今日四日半を要する紐育、桑港間は一昼夜にて通ずべし」これも満点です。

  このほかこの二日にわたる記事には自動車の普及、空中軍艦、買物便法(写真電話で遠距離にある品物を購入する、つまり現在のスマホ買い物)など26項目の予言が載せられています。この中には嵐を大砲で普通の雨に変えるとか、人と獣が自由に会話するとか現在の時点で可能となっていない項目もありますが大方の鑑定では7割があたりというのが風評です。項目の概要についてはネットにも載せられていますので、その正否は皆さんご自身で鑑定してみてください。

  昨年10月にBSジャパンで「2030年に世界はこう変わる。衝撃!未来テクノロジー」という番組が放送されました。そこで取り上げられたのは、ナノカプセル治療、AIロボット、ips細胞の進展、空飛ぶ車の4項目でした。あと12年のことですからこれらが実現するのは誰の目にも見えています。衝撃というほどのことはないでしょう。そこで私が期待するというよりも危惧するいくつかの項目を挙げてみましょう。

  空の交通;自動車が飛ぶのは当たり前。それよりも沢山の人たちがドローンで勝手に空に飛びあがります。その様子は戦後の蠅か蚊のよう。三次元の交通整理をどうするかなどの課題が山積。地上では自動スケボー;子供も老人も歩かないで自動靴をはいての通勤通学。若者は自動スケボーで街を駆け抜ける。スピードは制限されていますが靴を履けば坂道も楽に上れる。これいいですネ。お年寄りも杖を突きながら?歩かないから足は次第に細くなって火星人のようになるかも。リチウムイオン電池よりも固体電池よりももっと格段にパワーと容量の大きなエネルギー源の完成で多くの機械の様子がかわるでしょう。

  そうしたハードの進展よりも気になるのは人間社会のありかたです。たとえば新しい団塊世代の出現;いま待機児童解消!とやたらに保育園が増えています。子供は母親の胸のなかで育つもの。三歳児(ミツゴ)の魂百までとは昔からいわれていることなのに母親の肌を離れて保育園に預けられての集団生活では精神的、動物的な柔らかさに欠けるのは当然。いまから30年後、その保育園で育った大人たちは今までとは違った心理過程を持つ団塊になるでしょう。それが吉とでるか、凶とでるか。

  もう一つ、脳科学のものすごい進歩。ま、これは少し時間がかかるかもしれませんが、脳の構造が完全に明らかになってアルツハイマーなどは克服されますが、脳内イメージを取り出したり移したりできるようになる。そうすると動物との会話はもちろん…。先月沢辺兄からAIのお話がありましたが、そういうレベルを超えて考えただけでも恐ろしくなる事態が発生しそうです。足の下の地震や火山噴火の予知もできないし、ハリケーン、南岸低気圧の脅威も払うことができないのに宇宙開発?これも進むでしょうネ。楽しみと憂いがごっちゃになって迫ってきます。

  昨年、佐藤愛子さんの「九十歳、何がめでたい」というタイトルの本を読みました。年寄りの悲喜こもごもな日々が書かれていて、今年九十になる私にはまことに身近に感じられる文でした。九十歳.jpg
  そのなかの一節に「折しも“のぞみ”の時速がアップして東京大阪間が3分短縮されたとの報道が。それがナニやと思う。進歩は人間性の向上のために必要なものだ。もう進歩はこのへんでいい」と書かれています。そうですネエ。同感です。便利さの裏には必ず不便と悪とが同居します。必要なのは日々のくらしの快適さ、幸福感なのでしょう。でもこのシンポは止まらないどころか加速するばかり。やがて世の中は自然から離れて人がスマホに操られる喧噪の世の中に。この90年の間に戦争も飢餓もバブルも経験してきましたし、私は結核も、癌も。でもその喧噪の日を見ずにあの世に行くことが出来るいま九十歳はやはり「おめでたい」と言っていいのではないでしょうか。
posted by でんきけい at 00:00| Comment(0) | 斎藤さんのお話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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