2018年03月16日

ロンドンの日本クラブ/武田 充司

  もう50年以上も前のことだが、ロンドンのテムズ河畔に沿ったチェルシー・エンバンクメント通りに「日本クラブ」というロンドンに進出した日本企業の人たちのためのクラブがあった。
   目立たない建物だったから初めて行ったときは見つけにくかったが、直ぐ西にロイヤル・ホスピタル・ロードが分岐しているのでそれが目印になった。向かいはテムズ川を隔ててバターシー・パークで、夜になると公園の灯りが点々と見える静かな場所だった。
  当時はようやく日本の企業もぼちぼちロンドンに事務所を構えて活動を始めていたが、今と違ってロンドンには日本料理屋などは一軒もなく、あちこちにあるチャイニーズ・レストランが進出した日本企業の駐在員や出張者たちの息抜きの場所だった。そんな時に、ロンドンに進出した日本企業が共同出資してつくったのが日本クラブだった。

  さして大きくもない古い建物の中は何の飾り気もない質素なものだった。英国式にいえばグラウンド・フロアー(1階)がバーとラウンジュになっていて、その上(2階)にダイニング・ルームがあった。食事は予約が必要だった。
   バーは英国人の母と日本人の父の間に生まれたハーフの男性がひとりで切り盛りしていた。彼は若い頃プロのヴァイオリニストを目指したとかで、暇なときには彼からそんな昔話を聞いたりした。時には英国人の母親も顔を出して、ひとことふたこと楽しげに喋ることもあった。彼は母親似で美しい金髪の明るい笑顔が似合うイギリス人だったが、父親の日本人は無口で殆ど何も話さなかった。しかし、日本語は理解していたようだった。

  いつも夕方の早い時間帯を選んで予約していたから、大抵まだ客もいないバーのカウンターに座った。パブではないからビターは飲めない。輸入した日本のビールはあったが、そんな高価なものは飲めないから、イギリスのラガーかシェリー酒を飲みながら食事の準備ができるのを待った。夕食のテーブルが整うと合図があるので、二階へ上がって本物の日本料理の夕食を貴重品でも扱うように味わった。当時は調達できる食材も限られていたから、今から思えば質素な日本食だった。
  食事が終ると再び階下のバーに腰をおちつけ、彼の薦める食後酒を飲みながら、ひとしきり雑談した。こんなときには、たいていドランビューイ(drambuie)を飲むことになっていた。

  今では、ロンドンの和食は百花繚乱、高級な日本料理屋から居酒屋風の大衆食堂まで何でもありだから、あの当時のことなど想像もできない時代になってしまった。そして、当時のロンドンの日本クラブのことなど知る人ももう殆ど居ないのだろう。
posted by でんきけい at 00:00| Comment(1) | 武田レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
想い出というものはちょっとしたヒントで浮かび上がってくるものなのですネ。ほぼ50年前、羽田は国際線にも簡単に乗れる小さな空港でした。貴兄の一文は、貴兄がクラブで盃を傾けておられるころ、酒に弱い私はボストンのピアNo.5のカウンターによく通って、alumniとロブスターやクラムチャウダーを食べながら歓談していたのかなと思い出さしてくださいました。
Posted by サイトウ at 2018年03月16日 20:24
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