2018年06月01日

トリノからミラノへ/大橋 康隆

  2001年8月21日朝、トリノ駅近くのホテルを出発し北上して、観光案内所で地図を入手した。周辺の市立古代美術館、王立図書館、王立兵器庫を撮影して、ポー通り(Via Po)を東進するとポー川が現れた。昔「ポー川の水車小屋」という映画を見そこなったことを思い出して、(写真1)を撮影した。左側の Vittorio Emanuele T 橋を渡り、Piazza Gran Madre Di Dio を訪れた。

写真1ポー川の教会.jpg写真2ポー川の教会.jpg写真3トリノ遠望.jpg
(写真1)ポー川の教会(写真2)ポー川の教会(写真3)トリノ望遠
  次いで南進してカプチーニ山のSanta Maria del Monte-Monte dei Capuuuccini (写真2)を訪れた。ここからの眺望は素晴らしく、トリノ市街を一望できる。(写真3)中央のアントネッリアーナの塔(Antonelliana)は、トリノのシンボルで、内部は映画博物館になっている。残念ながら訪れる時間が無くなったが、ここからの眺望も素晴らしいそうで、絵葉書を購入して我慢した。カプチーニ山を下りて南進して、Umberto T 橋を渡り、ヴァレンチーノ公園、Olto 植物園、ヴァレンチーノ城を訪れたが、ここでホテルに帰着することにした。17時にトリノ駅を出発し、40分でミラノ駅に到着した。急いでサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会脇の窓口を訪れ、日本から電話で予約した「最後の晩餐」の予約番号 OSA119884 を見せて、翌日の見学切符を入手した。こんなに緊張したことは珍しい。
写真4教会.jpg写真5教会.jpg写真6城.jpg
(写真4)教会(写真5)教会(写真6)城
  8月22日朝、ホテルで朝食をとると、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会に急行した。(写真4)(写真5)既に入り口には受付番号順に行列ができていた。25人づつグループ分けされ順次入場した。美しく修復された「最後の晩餐」の前で、よくぞ戦禍を免れたのは、奇跡であると感銘を受けた。教会から出ると、数人の画家達が教会を熱心に写生していたのが、印象的であった。教会から南進して、国立ダ・ヴィンチ記念科学技術博物館を訪れ、多才なレオナルド・ダ・ヴィンチの大展示室で数々の偉業を見学した。更に東進して、サンタンブロージョ聖堂(S.Ambrogio)を撮影して、(写真6)地下鉄で北北東に進みスフォルツァ城を見学した。(写真7)内部には市立博物館がある。
写真7教会.jpg写真8ミラノ大聖堂.jpg写真9ミラノ大聖堂.jpg
(写真7)教会(写真8)ミラノ大聖堂(写真9)ミラノ大聖堂
  最後にスフォルツァ城から地下鉄で南東に進み、ミラノ大聖堂(写真8)を訪れた。これまで海外出張中にミラノには短時間滞在し、ミラノ大聖堂の写真は撮影したことがあるが、内部を訪れたのは今回が初めてである。(写真9)大聖堂の多数の尖塔を身近に眺め、周囲のミラノ市街のパノラマを堪能して大満足した。

  8月23日ミラノ空港を出発し、8月24日成田空港に到着した。帰国して間もなく9月11日に、ニューヨークのテロをテレビで見て驚愕した。翌年は海外旅行を自粛した。岡山朝日高同期のIさんは、ブラジルからの帰路9月10日にニューヨーク空港で乗り換えたが、何となく物々しい雰囲気を感じたそうだ。

posted by でんきけい at 00:00| Comment(2) | 大橋レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ずっと続いて来た大橋さんのイタリア紀行は今回も私の記憶を大いに刺激して呉れました。
私がトリノへ行ったのは1972年冬でご紹介された様な美しい景色は見れませんでした。
映画の話で苦い米(Il Riso Amaro-1948)はご覧になったと思いますが、あの冒頭のシーンはイタリア各地から田植えにやって来た女性達がトリノ駅に集まる処から始まります。この映画はデ.サンチス監督の話題作ですが、それ以上に主演のSilvana Manganoの新鮮な魅力がショックでした。相手役のVittorio Gassmanもこれでスターの座を確保した様です。
ミラノでは短期間で色んな見どころの割愛止むを得ませんが、それ以上に普段中々行けない北イタリアの各地を廻られて素晴らしいと拝見しました。良くあれだけ調査し予約されたと感心して居ます。尚私が最後の晩餐を始めて見たのは1972年で事前予約は不要でした。2度目は2004年で予約が必要でしたが、修復もされて良かったです。
 
 


Posted by 小林 凱 at 2018年06月03日 21:15
 イタリア通である小林兄のコメントに勇気付けられました。映画「苦い米」は、私も観ましたが、シルヴァーナ・マンガーノの鮮烈さに圧倒されました。当時はイタリア映画の名作が多く上映され、走馬灯のように思い出されます。戦後、食糧難だけではなく、文化にも飢えていた私にとって、外国映画は慈雨のようでした。
Posted by 大橋康隆 at 2018年06月06日 15:30
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