2018年08月16日

フロリダのディズニーランド/斎藤 嘉博

  ウォルトは、第二のランドとしてテーマパーク以上のものを作ろうとする意欲に燃えていました。それは未来都市EPCOTの建設。
  EPCOTとはExperimental Prototype Community Of Tomorrow で、マンハッタン島が二つほどもはいろうかというフロリダの広大な土地に例の魔法の国のほかに学校から商店街までを含んだ未来志向の都市を作ろうとしたのです。それは1963年のこと。フロリダ半島は根元のジャクソンビルから南端のエヴァグレーズ国立公園までびしょびしょの沼地。土地の価格は安くてもその改造にはかなりの出費が必要でしょう。ウォルトはその夢の実現に着手しましたが、1966年に亡くなって彼の意思をそのまま作り上げるということにはなりませんでした。

  現在のWDW(ウォルトディズニーワールド)の中心は直径50mほどの大きな銀色の球形の建物Spaceship Earthをシンボルとして、池の周辺に配置した世界各国がお国柄を展示するワールドショーケースのあるEPCOT地区となっています。フロリダ6(88%).jpg
  ここにはさらにThe Land(水耕栽培の野菜など)、Wonder of Life(ゲノムの構造など)、Universe of Energyなど未来志向のパビリオンが面白い展示を見せてくれていましたが、これら未来への夢の多くはもう既に実現しており、いまここを訪れれば昔とは違った印象をもつかもしれませんネ。EPCOTは70年代に日本の未来学者のあいだでも大変話題になりました。
  WDWにはMagic Kingdomやウォーターパーク、MGMスタジオ、さらにビーチクラブヴィラ、ポリネシアンリゾートなど沢山のホテルがあり、アップダウンのない池の多いゴルフ場もあって、何日逗留していても飽きがきません。
  なかでも私のお好みはアニマルキングダム。フロリダ2(88%).jpgフロリダ1(88%).jpg
  水牛、カバ、犀などがのんびりと草を食んでいる湿地帯の中を泥水を跳ね上げながら走るジープでめぐり、水辺のフラミンゴや大きな籠の中を飛びまわるインコたち、アジア地区ではゆったりと寝そべるマレートラ、アフリカ地区ではやや遠くの丘の上をゆっくりと歩くキリンの群れ、放し飼いの獅子、豹、象などなど。これまでの動物園とは全くスケールの異なる広い荒野を見ていますと気分は爽快です。
  そしてこの快楽は海へとつながります。WDWの東40マイルほどところにあるケープカナベラルはその昔、人工衛星打ち上げの初期に基地として名をなしていました。フロリダ3(88%).jpg
  ここの港から全長294m、83,000トンのディズニーマジック号が出航するのです。夕方4時ごろに乗船するとまず救命具を付けての避難訓練、そして5時にキャラクターの見送りを受けて出航。ここからバハマの首都ナッソーに寄り次の日にはカリブ海の小さな島、キャスタ・ウェイ・ケイで海を楽しんで帰港するという3泊4日のクルーズ。
  このクルーズの看板はローテーションダイニング。三泊三回の夕食を“美女と野獣”の雰囲気でいっぱいのフレンチレストラン「ルミエール」、カリプソ音楽が流れる「パロット・ケイ」、ディズニーテイストの様々なアニメをあしらった「アニメーターズパレット」という、それぞれ異なった雰囲気の三つのダイニングルームで採るのです。テーブルの仲間は三回とも同じ。したがって二泊目の夕食ではお互いにもう親しいお友達になってアニメの話に花が咲きます。
  さらに朝食はキャラブレ。キャラブレとはキャラクター・ブレックファストの略語でビュフェの料理を皿に盛ってテーブルに帰ってくるとミッキーマウス、プルート、グーフィーそれにドナルドダックといったキャラクターの面々が席にご挨拶に来るという趣向。
  ハグをし、握手をしてお客と交流します。子供たちにとってあこがれのキャラクターとの交流は至高のひと時。フロリダ5(88%).jpg
  3日目の朝小さなサンゴ礁、カリブ海の島に到着。迎えのトロッコでまぶしい白砂の浜に着けばあとは泳ごうとカヤックを漕ごうとご自由に。私はホットドッグを食べたら浜辺のハンモックで揺られてのお昼寝。夕方船に帰れば夜はシアターでの様々なショーを見たり壁面に飾られているアニメの原画を見たり。そして4日目の朝まだき、すっかりディズニー色に洗脳された乗客は再びケープカナベラルの港に帰着します。

  今ディズニーランドは世界に東京のほか、パリ、香港、上海にあり、お家元のアナハイムにも昔からのディズニーパークの周辺に、カリフォルニア・アドヴェンチャー・パーク、ダウンタウン・ディズニーなどの諸施設が広がっています。ハワイにもオアフ島の西端、ホノルル空港から40分ほどH-1を西に走ったところ、アウラニの海岸にホテルを中心にしたアウラニ・リゾートができています。ここにはパークらしいパークはありませんが海岸の砂浜で思いっきり海水浴が楽しめますし、すぐ隣にはテントウムシ商標のコオリナゴルフコースがありますので、ワイキキの喧噪を逃れてゆったりと過ごすには格好のリゾートになっています。
posted by でんきけい at 00:00| Comment(3) | 斎藤さんのお話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 ディズニーワールドのお話と写真を懐かしく拝読、拝見しました。私が初めて当地を訪れたのは1977年で、当地内のビスタ電話会社です。1978年の光通信システム開通式で撮影された、ミッキーマウスと女性司会者、関連会社幹部との記念写真をPCで久しぶりに眺めました。当時EPCOT構想については聞いており、ポリネシア村の写真もあります。
 1990年に郵政省主催の調査団の一員として再び当地を訪れましたが、EPCOTが実現されていました。銀色の球形 Spaceship Earth の写真も撮影できました。時代と共に発展する姿に飲み込まれました。
Posted by 大橋康隆 at 2018年08月17日 13:52
斎藤さんのBlogには不思議と懐かしい場所が登場します。WDWには1975年の8月に家族で行って来ました。この頃は開いてまだ日も浅い頃ですが、東海岸であり新しい趣向も凝らしたとあって、休暇先として人気でした。
 当時は東部に住んで居たので先ずフロリダ州のジャクソンビルに飛びレンタカーをして南のケネディ宇宙センターを見学して近くに泊り、翌朝は真っすぐWDWへ行きました。高速道路が其の儘片側4,5レーンで入口に繋がっていたのに驚きました。
入場したら船で対岸から魔法の王国のメインストリートに入った様な記憶です。後は子供が主役でしたが西海岸のデイズ二―ランドよりずっと大きく趣向を凝らした印象でした。アトラクションではSpace Mountainが此処から加わった様に思います。私は息子と乗りましたが家内と娘はdeclineしました。
 この日は遅くに近くのKissimmeeという町のHolyday Innに泊り、翌日南下してMaiami Beachへ行きました。実はMiamiの滞在後はFlorida Keyの海上道路を走って、先端のKey West迄行きました。帰途はフロリダ半島のメキシコ湾側を走りましたが、色んな見物場所が沢山あり運転手は疲れたが子供達は楽しんだと思います。43年も前の話で私も未だ体力が有ったのでしょう。
Posted by 小林凱 at 2018年08月17日 17:33
皆様それぞれに楽しい旅をされていますね。70年代にEPCOTに行かれた方はまだ少なかったと思います。ミッキーマウスとの記念写真を拝見したい。小林兄はキーウエストまで足を延ばされた由。羨ましい。私もヘミングウェイゆかりの地をみたいと入り口のキーラルゴまで行ったのですが海の上をあと80マイルと聞いて引き返しました。コメントを読ませていただいてまた私の記憶がよみがえりました。
Posted by サイトウ at 2018年08月18日 22:16
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。