2018年11月16日

近頃思うこと(その36)/沢辺 栄一

  エジプトのピラミッド、ギリシャのパンテノン神殿およびストア山頂の修道院、ヨルダンのペトラ、インドネシアのポロブドゥール、メキシコのティオティワカン、ビルマのアーナンダ寺院、カンボジアのアンコールワット、タイのワット・マハタート、インカのマチュピチュ、ミャンマーのアユタマの塔、トルコのモスク、インドのタージマハル、日本の城等々、ここに示すように欧米以外の国々でも過去に素晴らしい建造物、彫刻を建造し、今日に遺している。

  これらを建造するには構想の設計、それに基づく必要な材料の発掘、運搬、造形、積上げなど、各種の技術、ノウハウを用いている。これらに使用された技術、ノウハウは素晴らしいものであり、その遺伝子はそれぞれの民族の中に伝えられている筈であるが、17世紀から18世紀の産業革命以降の近代技術は主として欧米諸国から発明、創造されており、上記の国々からは新しい技術は出てきていない。何故なのだろうか。近代技術創造への発想はそれまでの技術の発想とは根本において異なるものなのであろうか。疑問が湧いて調べてみると、ニーズの有無もさることながら、政治・社会体制に依存するところも一つの大きな要因であるようである。
  新しいものの創造、出現にはそれを必要とする要求ニーズ、創造者の完成時の名誉、完成後の権利および利益、創建のための資金の有無が関係すると思う。

  上に挙げたものはそれぞれの国の王や領域のトップおよび宗教団体の要求によって建造されたものである。すなわち、これらの建造は王の威厳提示、各宗教の威信権威の提示が主な理由である。実際に建造を行なった者は奴隷であり、下積みの労働者であった。彼らの持っている技術や知能は更なる改善、創造を行なっても、利益を得るのは王侯貴族であり、自分の所には廻ってこないので、自主的な更なる技術、知能の発揮はされなかった。奴隷が供給されている時には最も安い労働力であり、中々機械等によることは考えられなかったようである。奴隷の供給が厳しくなってから人力から動物力、水力、風力、さらには機械力へと替わって行った。

  17世紀〜18世紀では英国人の技術発明、創造が他の欧州の国々よりも断然多かったが、それは英国がブルジョア革命により他の欧州の国々より早く封建制の束縛から解放されていたためで、約1世紀後のフランス革命の後、フランスからも新しい機械の発明の提案が多く出るようになった。機械技術の発明は封建制度から開放された自由な発想の出来る政治体制の下で促進されることが解る。
  東南アジアの国々では能力はあるのであろうが、欧州の各国の植民地になったため、自由な発想ができなかったのであろう。また、日本でも徳川幕府の封建政権の下で、庶民は平和の内で過ごしていたが、軍事に繋がる技術の開発は禁止されており、新しい技術は出てこなかった。

  戦後、日本では民主主義の政治体制の中で、自由な発想が出来るようになり、当初は米国技術の模倣、追随であったが、次第に独自の新技術が出るようになってきていると思われる。ノーベル賞の受賞も近年欧州の国々よりも多くなっており、本来の力が評価されてきたことは喜ばしいことである。今後、時を経れば民主化されている発展途上国からも新しい技術が創出されるのではないかと思っているところである。
posted by でんきけい at 00:00| Comment(0) | 沢辺レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。