2018年12月01日

宇治上神社/齋藤 嘉博

  京都には17ケ所の世界遺産があります。そのうち宇治上神社は私の未訪問のお社。そうだ京都へ行こう、吉永小百合さんの顔を思い浮かべながらこの欄でも何回か書きました言葉をこの秋も習って、朝7時半のひかりに乗りました。
  神社はこれも世界遺産の平等院からみて宇治川の対岸。宇治橋を渡って、さわらびの小道を10分ほど歩いたところにあり、応神、仁徳両天皇を祀っています。そう、前回の大曲兄の稿に、歴代天皇の名前を覚えたという下りがありましたネ。京都の社寺を歩いていると、昔暗記した「神武、綏靖、安寧……」が年代を知るのに大変よい指標になるのです。なんでも小さいうちに覚えておくことが大切。
  お社は小さい仏徳山の麓で上、下の加茂神社などにくらべると小さなごく素朴な神社ですが、年輪年代法によって推定された建立の時期は本殿が1060年、拝殿が1215年とされており、神社建築では日本最古の遺構のよしで、いずれも国宝となっています。お守りの紋やおみくじなどにウサギが使われています。なぜ?ってお尋ねしたら、宇治は昔「菟道、うじ」と書いたのだそうです。つまりこの辺りうさぎのみちだったのです。
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宇治上神社拝殿
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宇治イラストマップ
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宇治上神社朱印
  お社には桐原水という宇治名水のひとつ、湧き水があって手洗い場となっています。京都には沢山の名水、湧き水がありますが、これもその一つ。
  これで17か所の世界遺産を完訪してここちよい気分でお隣の源氏物語ミュージアムに立ち寄って帰りの電車に乗りました。

  今回の京都遊びにはもう一つ楽しみがありました。大徳寺の塔頭、真珠庵と黄梅院への参拝です。大徳寺には大仙院、高桐院など多数の塔頭がありますが、上記二つの塔頭は常時は非公開。春と秋の一定期間だけに参拝ができるところです。真珠庵は一休和尚の塔所として有名。小学生のころ一休さんのとんち話を夢中で読んだものでした。その頓智が高じたのでしょうか。方丈の襖絵、左側に釣りバカ日記、右側にエヴァンゲリオンの作者の漫画が!!長谷川等伯の絵を楽しみに来たのですが、修復の機会にこうした絵になったよし。案内の方は「賛否両論で」と言われていましたが、これを楽しみに来る若い人たちも多いのでしょう。帰宅後に娘にこの話をしましたら「えっ、すごい、是非見たい」と言っておりましたので。

  話は飛びますが御所、京都御苑の清和院御門のすぐ外、寺町通りに面した梨の木神社には一の鳥居と二の鳥居の間、参道の上にマンションがデンと建っているのです。この神社は染井の名水や萩の寺として有名で、多くの参拝客が訪れていたのですが、お寺の懐具合でこうしたことになったのでしょう。まことに奇妙な景観が生まれてしまっているのです。三大念仏狂言で有名な壬生寺の舞台もその前に三階建ての幼稚園のビルができて。名所、古跡も次第に蝕まれていると言っていいでしょう。祝日を、そのいわれを無視して月曜日の休日にしたりする政府のもとですから、こうした無謀な処置も許されるのでしょうか。

  話を戻して真珠庵には庭玉軒というちょっと珍しい茶室があります。露地を入って躙り口というのが普通ですが、躙りを入る前にもう一つ内露地があってそこにつくばいが置いてありました。ここから躙り口を入って二畳台目の茶室へ。この世界も時代によってさまざまな工夫がなされ、なかなか奥が広いものです。よい勉強になりました。

  枯山水の見事な庭のある黄梅院では御朱印の授与にご住職自らが筆をとっておられました。住職が、「私もことし八十歳になりました、貴男もそのくらいかナとおみうけしますが」と話されたので、もうちょっと上ですと。話が弾んでご住職の暖かい握手をいただいて辞しました。宇治4(94%).jpg
黄梅院朱印

  ちなみに京都の世界遺産17を書いておきましょう。
上加茂神社、下鴨神社、金閣寺、銀閣寺、竜安寺、仁和寺、高山寺、
天竜寺、苔寺、二条城、西本願寺、東寺、比叡山延暦寺、清水寺、
醍醐寺、平等院、宇治上神社
posted by でんきけい at 00:00| Comment(2) | 斎藤さんのお話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
京都には世界遺産が多いと思っていましたが、17ケ所も登録されていることを初めて知りました。斉藤さんが最後の未訪問のお社を訪ね、ゆっくりと楽しまれた姿が瞼に浮かびます。私は駒場時代に岡山に帰郷する時は、京都で途中下車して親友の下宿を訪れ、名所旧跡を案内してもらっていたので、京都は詳しいと思っていました。しかし現在記憶に残っているのは、9ケ所だけです。最も思い出深いのは平等院です。私は1945年3月に岡山弘西小学校を卒業しましたが、敗戦間近で修学旅行などはありませんでした。卒業45年後の1990年に、恩師2名と同期生29名が全国各地から新大阪駅に集合し、貸切バスで京都の名所旧跡を訪ね、最後に平等院を背景に記念写真を撮影しました。男性恩師は5年生の時に担任でした。女性恩師は、凛々しい袴姿で薙刀を女生徒に教えておられましたが、子供やお孫さん達はすべて東京や大阪に住んでいて、岡山で一人暮らしておられました。同期生の一人が、山陽新聞に勤務していたので、平等院の前で撮影した記念写真は記事と共に新聞に掲載されました。その後、岡山弘西小学校は、過疎のため統合され廃校となりました。時代の変遷は意外に早く、残念ですが止むを得ません。
Posted by 大橋康隆 at 2018年12月02日 16:40
平等院は先ごろの修復で、朱塗りの鳳凰堂とお池の州浜が昔の姿になり、頼道の考えた浄土が再現?されました。いつもながら貴兄の故郷への想いには敬服いたします。
Posted by サイトウ at 2018年12月04日 10:06
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