2019年09月16日

近頃思うこと(その43)/沢辺 栄一

  約30年前から日本の良さについて関心を持ち今日に至っている。16世紀から日本に欧米人が来て、欧米文化・文明と異なる日本文化・文明と日本人に興味を持ち、日本滞在記や日本における日記等を多く残している。ザビエル、フロイス、ロドリーゲス、ケンペル、ツンベルグ、シーボルト、オールコック、ベルツ、ハーン、シュリーマン、エジソン、アインシュタイン、ハンチントン・・・。更に福沢諭吉、三宅雪嶺、新渡戸稲造、夏目漱石、和辻哲郎、三木清等の日本人も日本について記している。日本人は外国人が日本を如何見ているのか気になる性質があるようで、日本人論が盛んである。世界の他の国には英国人論、ドイツ人論等は無いようで、日本特有の現象である。
  幕末、明治維新以来、西洋文化の凄さに驚き、西洋文明を崇め、導入した。政府の要人自ら使節団を作り、欧米を1年9ヶ月に亙って旅行し、西洋文明を視察した。また、明治政府は多くの留学生を欧米に派遣すると共に、西欧諸国からお雇い外国人として多数招聘し、高額の給料と無償の高級住宅貸与で優遇し、わが国の西洋文明化に努めた。西洋人先生の言うことは絶対であり、西洋人自身が自分たちの欠点、悪行は言う筈もなく、明治維新から今日まで西洋文明および西洋人への崇拝は続けられており、日本人自体、西洋人の頭で西洋を見てきたし、私自身も欧米文化・文明に憧れてきた。
  ところで、最近、日本人の書いた世界史を読んでみた。高校で習った世界史は西洋人の頭で見た世界史であったが、この世界史は全く異なり、驚くことが列記されていた。西洋民主主義の発祥地であるギリシャで既に奴隷を使用し、ギリシャ文明はその上に乗っていたことを知った。また、ローマ文明も侵略と略奪による奴隷の上に栄えていたことを知った。日本では有史以来奴隷の制度は無く、ポルトガル人が日本に来て日本人を奴隷にするため人身売買を行い東南アジアで使用したことを秀吉が知り、ポルトガル人を排除したほどである。
  西洋人(白人)は白人以外の人間を人間で無く動物と見做し、人種差別に徹し、その上、人種差別と認識していなかった。15世紀末近く、コロンブスがアメリカを発見した後、西回りのスペイン人と英国人により南北アメリカの人の良い、親切な先住民は大変な残虐な犠牲を受けた。カリブ海地域の犠牲者は約38万人、メキシコ中央部のアステカ地域の犠牲者は約2400万人、ペルー中心部のインカ地域の犠牲者は約820万人、合計約3300万人にも上る。北米の欧米人による侵略は中南米より約1世紀遅れて始まり、土地に執着しないインデアンは土地の欲しい英国人によって200万人から400万人の犠牲を払った上に土地を奪われた。一方東回りのオランダ人、フランス人、英国人はインドネシア、ラオスやカンボジア、インドとミャンマーおよびマレーシア等をそれぞれ植民地とし、原住民の酷使と産物の略奪により栄えていった。
  以上のような白人の残虐行為をコロンブスと同時代のスペイン人伝導師ラス・カサスが「インディアスの破壊についての簡潔な報告」で告発した。現代になってカナダのトーマス・バージャーはアメリカ・インディアンの抹殺を「コロンブスが来てから‐先住民の歴史と未来」という著書で纏めた。ラス・カサスの報告書の翻訳がわが国で出版されたのは1976年(昭和51年)になってからとのことである。日本の西洋史学会が如何に欧米人の歴史の暗黒面を明らかにすることに躊躇していたかを表す現象である。
  日本で初めて西洋人は野蛮だと言ったのは西郷隆盛で、西郷南洲遺訓11節に記されている。「欧米が本当に文明ならば未開の国に対する程むごく残忍の事を致し、己を利するは野蛮であると言ったら、欧米が文明であると主張していた人間が口を閉ざした」とある。人間としての西洋人の行動をよく見ていると感心した。
  なぜ西欧人と日本人とは大きく違うのであろうか。世界の多様な民族の人種、言語等の民族性はその民族が有史以来、長年住んでいる地理的位置と気象風土に依存する。西欧では緯度が高く太陽の光が少なく、低温少雨であるため植物の成長が遅く、農作物に適していない。更に、氷河により地殻の内部が露出し硬い岩石がむき出しになっているところが多く、農耕に適していない。西欧は土地の生産性が著しく悪いので、農作物の収穫を待っていることが出来ず、略奪を手っ取り早い生存の手段として当然な行為と考えるようになった。西欧は以上のように農業で暮らすには大変厳しく、自然と狩猟、牧畜、酪農が生活の基本となった。狩猟生活では動物を罠や囮に掛け、騙して捕える技を磨いており、遊牧も牧畜も絶えず動物を殺して食している生活である。このような環境を長く続けた結果、西欧人が獰猛な肉食動物的な残虐性が身についたのであろう。
  一方、日本の地理的位置、気象風土は西欧と正反対である。気候は高温多雨、土地は沖積平野で土壌は柔らかく、植物の栄養をたっぷり含んでいる。農産物が豊かに採れ、海も近く海産物も豊富で食糧は豊かである。風光明媚で鑑賞能力も自然と育っている。従って争う必要が少なく、善良、親切で、悪意がなく、おだやかで、他人に対して思いやりがある。また、台風、地震等の天然災害が多いので、忍耐力、工夫と努力が養われた。多くの日本を訪れた西欧人は日本人を人道的、人間的に優れていると記している。前述のように日本には奴隷制度は無く、台湾、朝鮮の植民地も欧米の植民地と全く異なり、搾取、虐待を行なっておらず、日本本土と同じインフラを建設し、民度を上げるために努力した。従って、戦後植民地が解消した後、西欧各国は搾取が出来なくなり衰えたが、日本は持ち出しが無くなり繁栄した。
  日本が日露戦争に勝利した後、それまで自分たち欧米人の行なってきた南北アメリカ、東南アジアでの略奪と残虐さ即ち「白禍」を棚上げして、黄色い人種が西欧を襲う事を危惧してドイツの皇帝ウイルヘルム2世が「黄禍論」をぶち上げた。アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領も日本が強くならないうちに打倒しなければならないと、今後の日米戦のあらゆる場面を想定したオレンジ計画を策定した。
  日本の歴史上人種差別を行なってこなかった日本は、よく知られているように、第一次世界大戦の後のベルサイユ講和会議で人種差別を撤廃することを国際連盟規約に盛り込むことを提案したが、賛成11票、植民地を持つ英国、奴隷を抱えるアメリカ、白豪主義のオーストラリア等5票の反対で、多数決ならば採択されたのに、満場一致でなければ採択しないとのことで、日本の提案は否決された。
  その後、黄禍論に賛同し、人種差別が強く、日本を著しく嫌っていたフランクリン・ルーズベルトがアメリカの大統領に就任し、オレンジ計画に基づいて日本打倒に力を入れ、日本からアメリカを襲撃させるように謀り、大東亜戦争に突入した。
  力の差により日本は敗れたが、日本の援助もあって東南アジアの国々は全て独立し、現在中国内部を除いて植民地は無くなった。また、日本の念願であった人種差別撤廃条約が1965年の国連総会で採択され、1969年に発効した。日本は1995年にこの条約に加入している。
  日本の古来からの人間観である無植民地、無人種差別の実現は人類史において日本が行った二大貢献であると思っている。
  偶然日本人として生まれたが、日本民族の良い性質を色々と知り、益々日本に生まれて良かったと感じているところである。
posted by でんきけい at 00:00| Comment(0) | 沢辺レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。