2019年10月01日

マーストリヒトからアムステルダムへ/大橋 康隆

  2004年8月25日朝、マーストリヒト(Maastricht)のホテルを出発し、市を南北に流れるマース川に架かる聖セルファース橋(St.Servaasbrug)を渡って旧市街を訪れた。(写真1)
  マース川に沿って北に進み、左折して西に進むと市庁舎(Stadhaus)のあるマルクト広場(Markt)が現れる。(写真2)更に南西に進むとフライトホフ広場(Vrijthof)に到着する。(写真3)の左側が聖ヤンス教会(St. Janskerk)、右側が聖セルファース教会(St. Servaasbasiliek)である。ここから南東に進み地獄の門(Herpoort)を訪れた。昔ペスト患者はこの門を通って隔離施設に運ばれた歴史がある。
地図オランダ東部  .jpg
地図オランダ東部
  再びマース川に沿って北に進み、聖母教会(Onze Lieve Vrouwebasiliek)を訪れ、旧市街を一周して再びセルファースト橋を渡ってホテルに帰着した。マーストリヒトは、「ヨーロッパの十字路」と言われ、交通の要所であるが、オランダの街とは思えぬ新旧合わせた不思議な雰囲気がある。旧市街の観光が、意外に効率よく終了したので、アムステルダムに直行する予定を変更した。 
写真1マース川岸の家並.jpg写真2市庁舎.jpg写真3フライトホフ広場.jpg
写真1マース川岸の家並
写真2市庁舎
写真3フライトホフ広場
  マーストリヒト駅を10時58分に出発して北に進み、アイントホーヘン(Eindhoven)駅に12時に到着した。急いで昼食を済ましてバスに乗り、フィリップス研究所を訪れた。1962年秋に、米国留学の帰路に訪問したことがある。当時アナログ時代の花形デバイスであった沪波器の開発設計技術者として、世界的に活躍していたNECのH.W博士(S28入社)の紹介状で訪問したので、デジタルのデルタ変調方式などの研究を見学させてもらった。親切な守衛さんは、午後からは一般見学が出来ますよと言われたが、日程が厳しいので、立派な研究所の建物と、入口に掲示されていた構内地図を、記念に撮影して立ち去ることにした。再びバスに乗ると、車窓から緑の樹々に囲まれた瀟洒な住宅が点在しており、昔案内して下さった技術者の方々も、この様な閑静な住宅に住んでおられたのかなと感慨深かった。
写真4ユトレヒト市街.jpg写真5運河の両岸.jpg写真6ユトリヒト市庁舎.jpg
写真4ユトレヒト市街
写真5運河の両岸
写真6ユトレヒト市庁舎
  アイントホーヘン駅を14時35分に出発して北北西に進み、ユトレヒト駅(Utrecht)に15時29分に到着した。駅は市街(写真4)の西にあり、東に進んで中心部を南北に流れる運河アウデグラハト(Oudegracht)を訪れた。地面から5m位下に運河があり、水面に面してカフェが並んでいる。(写真5)先ず市庁舎(Stadhuis)を訪れ、南下してドム広場(Domplein)を撮影した。広場の西にはドム塔(Domtoren)、東にはドム教会(Domkerk)、南にはユトレヒト大学(Universiteit Utrecht)がある。(写真7)の左にある銅像は、ユトレヒト同盟に立ち会ったヤン・ファン・ナッサウ(Jan van Nassau)である。ユトレヒト駅を18時16分に出発して北北西に進み、アムステルダム駅に18時46分に到着した。
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写真7ユトレヒト大学写真8国立美術館写真9アムステルダム市街
  8月26日午前中は国立美術館(Rijksmuseum)を訪れた。(写真8)レンブラントの「夜警」は、何度観ても素晴らしい。午後はアムステルダム市街をゆっくり散策した。(写真9)夕方スキポール空港を20時16分に出発して、成田空港には8月27日14時30分に到着した。今回のベネルクス3ケ国の旅行は、途中で当初の計画を変更してあたふたしたが、結果としては豊かな異国情緒を満喫して、欧州の歴史の厚みを体験できたと思う。
posted by でんきけい at 00:00| Comment(0) | 大橋レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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