2019年11月01日

運転免許返納/齋藤 嘉博

  私の自動車免許証は今年の9月18日まで。この機会に免許証を返納しようと決心しました。
  真に痛ましい事故が続いています。高齢者だけが悪者ではないと思いますが、やはり高齢ゆえの事故が多くなっていることは確かでしょう。運転の誤りで自分が電信柱にぶつけてというのならまだ許せますが、他人様を巻き込んで、とくに児童を殺傷する事故は本当に胸が痛みます。私が最初にハンドルを握ったのは1944年のことでした。学徒動員で仕事をしているときに、その構内で軍用トラックを動かしたのです。構内ですから無免許でも罰にはなりません。その後何回か無免許でハンドルを握って練習。1957年に鮫洲の免許試験場で合格。当時は鮫洲も海の際。方向指示器は手動で赤い矢印が出るアポロでした。それ以来60年余り、事故もなく優良免許で過ごしました。

  いや実は一昨年暮れに事故を起こしたのです。給油所のおじさんが洗車をしていらっしゃいと大変しつこく言いましたので、それならと洗車場に入りました。“いってらっしゃい”という言葉を耳にしたのが仇。いつもなら定位置に停車しているのに、その言葉で「あすこまでゆっくり行けばイインダと錯覚。そろそろと車を前に出したのがいけませんでした。途中で洗車ブラシにからまれてフロントガラスはバリバリと割れ、車はぺしゃんこ。あとで「こんな状態でよく生きていられましたネエ」と車を見たディーラー、保険屋さんは異口同音にびっくり仰天!!小生かすり傷もなく、あとは保険屋さんの仕事と雨の降る中を帰宅したのでした。それ以来家内も娘も「車の運転絶対にいけません!!!」。キーは取り上げられてしまいましたが、免許証があればレンタカーもカーシェアもあるし、と思いながら。でも運転はしませんでした。この事故で全く怪我がなかったのは毎朝般若心経をあげる阿弥陀様のご加護のおかげとしか考えられませんし、この辺で車はやめなさいという啓示だったのでしょう。先月初めの京急衝突事故。トラックの運転手の心理は前述の洗車場事故と思い合わせて私には分かるような気がします。

  このところの事故、多くがアクセルとブレーキの踏み違いと言われ防止用の器具まで売られているようですが、私はもうずっと左足でブレーキ、右足でアクセルとしていました。脚は二本ですから二つのペダルを両足で分けて使うのが自然の摂理でしょう。昔はクラッチがありましたのでこうはいきませんでしたが今の車はすべてオート。これによって踏み間違いの事故はぐっと少なくなるし、危険の場合のブレーキも0.3秒早く踏むことができる。事故の確率は減るでしょう。しかし現在の日本の教習所はそれを忌避するのです。免許更新の実地試験では左足を使わないでくださいと注意されました。

  代々木署に返納の手続きをすますと、やはりなんとなく寂しさがこみあげて、アアこれで俺の人生も終わったナという思い。冥途へのパスポートをもらった感覚で「この証明があれば冥途での運転はできますヨネ」と言いましたら、ご婦人の警官が「エエ、出来ますヨ」とユーモアを解せる明るいご返事でした。

  60年以上の間、車にはずいぶんお世話になったことです。国内よりむしろ海外、特に米国でのドライブが大きな楽しみでした。ヨセミテ、イエロストーンなど多くの国立公園を走りましたが、最も印象に残っているのはブライスキャニオンの景観が見たくて計画した2003年の旅です。ラスベガスで車を借りてまっすぐにブライスキャニオンへ。そこに三泊してゆっくりとこのキャニオンを楽しみ、隣のザイオンNPへ。さらに黄葉の林のなかを走って、あまり人の行かないグランドキャニオンのノースリムからの眺めは、やはり南壁からの眺めとは違って荒々しさの目立つすばらしいものでした。

  パウエル湖での水面に浮かぶ夕月の姿も旅情をそそり、ここから東に走ってナバホの自治区であるモニュメントバレーへ。ブログ1.jpgブログ2.jpg
モニュメントバレー
へのドライブ
ミッチェルビュート
の落日

  夕陽に浮かぶビュートのシルエット、ジョン・ウェインが活躍した広大な砂漠はぞくぞくする気分。そしていくつかのキャニオンランドを巡って最後はグランドキャニオンへ。ベストウエスタンのモーテルを泊り走った18日間、1613マイルのドライブでした。もう車では走れないと思うと幾何の悲哀が残ります。

  これからの高齢社会、いくら自動運転が一般化しても事故はますます多く、そして大きなものになるでしょうが、なんとか子供を巻き添えにする事故はなくなってほしいものです。

posted by でんきけい at 00:00| Comment(4) | 斎藤さんのお話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
斉藤兄の様に、長期間車をフル活用された方にとって、車との決別は感慨深いと拝察しています。私の場合免許証は、来年1月18日に切れます。今回は、バルーン・カテーテルを装着しているので、必然的に返納することになります。実際の運転は80才で止めましたが、免許証は今日まで保持してきました。免許証を入手したのは1961年の春で、米国留学のために多忙な最中で大変苦労しましたが、留学中は寮生活で無用となりました。帰国後数年してカローラを購入した当初は、国立富士見台団地からNEC玉川事業所まで車で通いましたが、事業所の駐車場が不足して間もなく止めました。1968年12月に府中で3億円事件がおき、帰宅途中で白いカローラに乗っていたので尋問を受けましたが、幸い会社のタイムカードのお陰でアリバイ成立となりました。その後は、ゴルフに行く時位であまり車を有効活用しておらず、車は専ら家内が活用しています。海外では専ら列車とバスのお世話になり、レンターカーを活用しなかったことを残念に思います。
Posted by 大橋康隆 at 2019年11月02日 15:10
免許証返納された由、永年の運転ご苦労様でした。私は次回は90歳なので、この6月にこれを最後として更新しました。処がその後運転意欲が減って、今は1Km先のスーパーへ往路は徒歩、帰りは路線バスで不自由なく、伊豆の温泉も電車だとビール飲んで行けると思う様になりました。そして2週位で空いた道をドライブして充電して居る有様ですが、今慌てづに次の車検辺りで考えようと思っています。
 ドライブで雄大なのは米国で、以前奥様とご一緒にRocky Mtn.に行かれた時の写真をBlogで拝見した様に思うのですが、あのUS34ルートは本当によい眺めであったと思い出して居ます。
Posted by 小林 凱 at 2019年11月02日 15:50
諸兄、車にはいろいろの思い出をお持ちですネ。すべての人が車を使えるという前提で構成されている今の車社会です。車がないと不便でしかたがありません。老人用の電動車椅子をグレードアップした車、時速は30Km以下で高速道路の使用禁止、自動停止装置付き、二人乗りぐらいの新しい車種をつくり、どこの駅でも気軽にそうした車を借りることができるような、誰でも車をつかえる社会を作ることが必要ではないでしょうか。
Posted by サイトウ at 2019年11月03日 09:06
齋藤さんの言われるように、僕も左右両足を使っていました。しかし、片足だけの方が便利(?)のようにも感じて迷うこともありました。それで、いつまでたっても違和感があり、なじめないので、結局、40歳代で車の運転をやめてしまいました。
 最初に免許をとったのは米国のイリノイ州でしたが、帰国後それをもとに日本の免許をとったので、僕は日本の教習所がどう教えているか知りません。日本でも昔のスタンダードのボロ車を運転していたのですが、現在のフル・オートマチックの車に乗り換えた時以来、運転が嫌いになって、やめました。それ以来、日常生活は自転車、旅は列車という生活で、さして不便もなく生きてきました。
Posted by 武田充司 at 2019年11月09日 11:14
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