いや実は一昨年暮れに事故を起こしたのです。給油所のおじさんが洗車をしていらっしゃいと大変しつこく言いましたので、それならと洗車場に入りました。“いってらっしゃい”という言葉を耳にしたのが仇。いつもなら定位置に停車しているのに、その言葉で「あすこまでゆっくり行けばイインダと錯覚。そろそろと車を前に出したのがいけませんでした。途中で洗車ブラシにからまれてフロントガラスはバリバリと割れ、車はぺしゃんこ。あとで「こんな状態でよく生きていられましたネエ」と車を見たディーラー、保険屋さんは異口同音にびっくり仰天!!小生かすり傷もなく、あとは保険屋さんの仕事と雨の降る中を帰宅したのでした。それ以来家内も娘も「車の運転絶対にいけません!!!」。キーは取り上げられてしまいましたが、免許証があればレンタカーもカーシェアもあるし、と思いながら。でも運転はしませんでした。この事故で全く怪我がなかったのは毎朝般若心経をあげる阿弥陀様のご加護のおかげとしか考えられませんし、この辺で車はやめなさいという啓示だったのでしょう。先月初めの京急衝突事故。トラックの運転手の心理は前述の洗車場事故と思い合わせて私には分かるような気がします。
このところの事故、多くがアクセルとブレーキの踏み違いと言われ防止用の器具まで売られているようですが、私はもうずっと左足でブレーキ、右足でアクセルとしていました。脚は二本ですから二つのペダルを両足で分けて使うのが自然の摂理でしょう。昔はクラッチがありましたのでこうはいきませんでしたが今の車はすべてオート。これによって踏み間違いの事故はぐっと少なくなるし、危険の場合のブレーキも0.3秒早く踏むことができる。事故の確率は減るでしょう。しかし現在の日本の教習所はそれを忌避するのです。免許更新の実地試験では左足を使わないでくださいと注意されました。
代々木署に返納の手続きをすますと、やはりなんとなく寂しさがこみあげて、アアこれで俺の人生も終わったナという思い。冥途へのパスポートをもらった感覚で「この証明があれば冥途での運転はできますヨネ」と言いましたら、ご婦人の警官が「エエ、出来ますヨ」とユーモアを解せる明るいご返事でした。
60年以上の間、車にはずいぶんお世話になったことです。国内よりむしろ海外、特に米国でのドライブが大きな楽しみでした。ヨセミテ、イエロストーンなど多くの国立公園を走りましたが、最も印象に残っているのはブライスキャニオンの景観が見たくて計画した2003年の旅です。ラスベガスで車を借りてまっすぐにブライスキャニオンへ。そこに三泊してゆっくりとこのキャニオンを楽しみ、隣のザイオンNPへ。さらに黄葉の林のなかを走って、あまり人の行かないグランドキャニオンのノースリムからの眺めは、やはり南壁からの眺めとは違って荒々しさの目立つすばらしいものでした。
パウエル湖での水面に浮かぶ夕月の姿も旅情をそそり、ここから東に走ってナバホの自治区であるモニュメントバレーへ。 | ![]() | ![]() |
モニュメントバレー へのドライブ | ミッチェルビュート の落日 |
夕陽に浮かぶビュートのシルエット、ジョン・ウェインが活躍した広大な砂漠はぞくぞくする気分。そしていくつかのキャニオンランドを巡って最後はグランドキャニオンへ。ベストウエスタンのモーテルを泊り走った18日間、1613マイルのドライブでした。もう車では走れないと思うと幾何の悲哀が残ります。
これからの高齢社会、いくら自動運転が一般化しても事故はますます多く、そして大きなものになるでしょうが、なんとか子供を巻き添えにする事故はなくなってほしいものです。
ドライブで雄大なのは米国で、以前奥様とご一緒にRocky Mtn.に行かれた時の写真をBlogで拝見した様に思うのですが、あのUS34ルートは本当によい眺めであったと思い出して居ます。
最初に免許をとったのは米国のイリノイ州でしたが、帰国後それをもとに日本の免許をとったので、僕は日本の教習所がどう教えているか知りません。日本でも昔のスタンダードのボロ車を運転していたのですが、現在のフル・オートマチックの車に乗り換えた時以来、運転が嫌いになって、やめました。それ以来、日常生活は自転車、旅は列車という生活で、さして不便もなく生きてきました。