2019年12月16日

近頃思うこと(その46)/沢辺 栄一

   「山高きが故に貴からず。樹有るを以って貴しとす。」「人肥たるが故に貴からず。智有るを以って貴しとす。」という言葉を知り、書いてある「実語教」とそれと関連の有る「童子教」に興味を持ち読んでみた。
  このタイトルからは「実語教」のほうが高学年向きと思っていたが、「実語教」が低学年向けで「童子教」の方が高学年向きの内容になっている。「実語教」は平安時代の末期に、「童子教」は鎌倉末期にそれぞれ出来、両者とも作者不明で、その時代から江戸時代まで約千年の子供の教科書として読み続けられてきた。特に江戸時代には広く寺子屋でみっちりと読され、頭にたたきこまれた。人間社会における礼儀、道徳等の基本、勉学を進める智の重要性を教えており、江戸時代の平和な時代を作り上げるのに著しく貢献したと考えられる。西洋では聖書の中で人の道を教えているが、「実語教」「童子教」のような児童用の道徳の教科書は無いように思い、日本の名も無き先人の素晴らしさに感心している。
  福沢諭吉の「学問のすすめ」は「実語教」を下敷きに書かれており、二宮尊徳も「実語教」「童子教」を学んでいる。日本を発展させた明治に活躍した人間は皆江戸時代の教育を受けた人間である。西洋文明の嵐に見舞われて、「実語教」「童子教」は正式な小学校、幼稚園児童の教科書として採用しなかったのは、明治時代の教育者が西洋文明に眼を奪われ、伝統の有る日本文化を軽視し、日本文化、教育の良さを評価できない人間であった結果と思う。
  明治天皇が日本の歴史的な教えに基づき、仁義忠孝を明らかにし、道徳の授業は儒教によるものとすることをお示しになられたことを受けて、明治23年になって井上毅、元田永ざね等によって教育勅語が作成された。これがその後の道徳の基本となり、学校での各種の式には必ず読まれて我々の行動の指針となった。戦後は戦争に関係あるとされ、教育勅語は読まれなくなった。教育勅語を知っている人間が教育、指導している間はまだある程度道徳が守られ、教えられていたが、現在はそのような人間が高齢になり、学校で道徳を教えられない人間が多くなり、人間生活における規律が無くなり、凶悪な犯罪が多くなっているように感じている。
  このような状態に対処するため、学校で道徳の授業を採用することが伝わってきているが、古来から伝えられている「実語教」「童子教」を現代の言葉、内容に改め、幼稚園、小学低学年に徹底的に暗唱、記憶させることを行ない、人間社会での行動、思考の基本を身体に埋め込ませる必要があるのではないかと考えるこの頃である。
posted by でんきけい at 00:00| Comment(0) | 沢辺レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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