2020年01月01日

ストラスブール周辺の旅/大橋 康隆

 1998年7月8日は、家内は学会へ、私はストラスブールの対岸のドイツを訪れた。朝9時34分にストラスブルク駅を出発して東方に進み、オッフェン
ブルク(Offenburg)駅で急行に乗換え南方に進み、11時4分にフライブルク(Freiburg)駅に到着した。
 駅から東に進むと旧市街に入り東端に大聖堂(Munster)がある。旧市街の中央には南北にトラムが走っていた。フライブルクで食事をして、しばし旧市街を散策した。(写真1)は市庁舎(Rathaus)である。
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地図ドイツ西南部
写真1市庁舎.jpg写真2城.jpg写真3ドナウの泉.jpg
写真1市庁舎写真2城写真3ドナウの泉
 フライブルク駅を13時40分に出発し、東方に進みドナウエッシンゲン(Donaueschingen)駅に15時20分に到着した。先ず、フュルステンベルク城(Furstenbergisches Schloss)を訪れた。(写真2)城の庭園には美しい薔薇が咲き乱れていた。近くのドナウ川の源泉(Donaugulle)を訪れると、若い二人が泉をのぞき込んでいた。(写真3)この町では、本格的な木骨組みの建物が印象的であった。ドナウエッシンゲン駅を16時44分に出発して北西に進み、オッフェンベルク駅で乗換え西に進んで、ストラスブール駅に19時5分に到着した。
写真4黒い森.jpg写真5フロイデンシュタット.jpg写真6ミュンメル湖.jpg
写真4黒い森写真5フロイデンシュタット写真6ミュンメル湖
 7月9日は、家内は学会へ、私は同伴家族の黒い森ツアーに参加した。バスは東方に進み、やがて黒い森が現れてきた。(写真4)しばし森の深さを堪能していると、バスはフロイデンシュタット(Freudenstadt)に到着した。(写真5)ここのレストランでの昼食は、一つのテーブルに6人づつ着席したが、ここで幸運なことにもう一人男性の参加者を発見した。正面の席はトルコから参加した6才の坊やだった。坊やのお母さんは、大変積極的な方で、珍しい日本人を見つけたとばかり「あなたは奥さんに働かせてこんな所で遊んでいていいのですか。」と話しかけてきた。「とんでもない!私は昨年まで通信技術者として精一杯働いてきた。若い頃は、月、月、火、水、木、金、金、で働き、通常勤務時間と残業時間+休日出勤は同じ位だった。これ位遊ぶのは当然です。」と答えた所、「日本の定年は何才ですか。」と次から次へと質問を受け、瞬く間に私の正体が明らかにされた。同じテーブルには、日本から同伴のご夫人が2人おられたので、食後の休憩時間には忽ち日本からご同伴の6人のご夫人方に私の正体が伝わってしまった。お陰でバスが停車する度に、美しい背景の前で記念写真を撮影するカメラマンになり、友好を深めることが出来た。
写真7パン焼窯.jpg写真8麓の町.jpg写真9懇親会場.jpg
写真7パン焼窯写真8麓の町写真9懇親会場
 次にバスが停車した所は、ミュンメル湖(Munmmel Zee)で 、奥深い色をした湖にはボートハウスがあった。(写真6)近くに珍しい屋根のパン焼き窯があり、出来立てのパンを販売していた。(写真7)帰路では2ヶ所の街を訪れたが、どの町だったか定かでない。(写真8)やはり自分で計画した場所は、明確に覚えていても、人任せでは印象が薄いようだ。しかし楽しい同伴家族の黒い森ツアーを企画して下さった国際炭素学会には、心から感謝しています。
 ホテルに帰着して、背広に着かえ夕方には家内と学会の懇親会に出席した。由緒ある会場で美しい庭園が印象的であった。(写真9)懇親会が終了すると、日本人では最年長のK教授夫妻が「私も来年定年です。」と挨拶に来られた。多分奥様から詳細な報告があったものと推察する。
 美しい庭園の前で、記念写真を撮影した。残念なことに、これが最初で最後の同伴家族ツアーになってしまった。その後、家内が国際炭素学会に参加する度「ご主人は同伴ではないの?」と尋ねられ「油絵の題材にならない場所は駄目なのです。」と答えていたらしい。実態は定年後の油絵と囲碁の活動が軌道に乗り、かつ各種同期会やOB会の世話役が忙しくなって、日程の調整がつかなくなったのである。

posted by でんきけい at 00:00| Comment(1) | 大橋レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
明けましておめでとうございます。今年も皆さんの元気なご様子をBlogで拝見したいと思います。
 今回はドナウ源流の探訪を大橋さんがレポートされました。此処は私も機会あればと思っていたが未達の所です。以前にネッカー河の源流もこの近くである事を知り、この辺りがヨーロッパの水のパワースポットみたいに思われて関心がありました。
 ヒマラヤ山脈から流れ出る水がインド洋や南シナ海に注ぐことに何の迷いも在りません。処が高い山でもない泉の水が、延々と東へ2500KMも流れて黒海に至る経路には沢山の偶然が重なった様に思えます。雨雲が少し西へ動いて降った雨はネッカー河に流れ、ラインに合流して北海に注ぎます。中世の歴史の様な話です。
また次のお話を期待して居ます
Posted by 小林 凱 at 2020年01月05日 17:51
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