2020年08月01日

コロナウィルス/齋藤 嘉博

  コロナのお陰で徘徊もままならず、日々退屈をしています。諸兄はどのようにおすごしでしょうか。日本では数少ない良い季節、新緑に映える季節にStay Homeなんてまったく色気がありませんでした。
  昨年は天城を散歩しておりました。今年は妙高の高原を散歩したいと思っていたのですが、とてもコロナの猛威にはかないません。それでもと“密”を避けながら日本三奇橋の一、猿橋に出かけて橋の木組みと渓谷の流れを楽しみ、あじさいの道を散歩してきました。コロナ1.jpg
桂川を越える猿橋
  先の5月なかば、15日は葵祭の日でしたが御所車の行列は取りやめ。さぞ紫式部は嘆いていることでしょう。そして8月の祇園祭も山鉾の巡行も宵山もとりやめ。もともとこうしたお祭りは怨霊の災いを納める催しでした。今私の手許に「京都<千年の都>の歴史」という本(岩波新書、高橋昌昭著)があります。平安京の時代に疫病で皆が大いに苦しんだ折、その蔓延を防ぐために各種の神事、祭礼、法会が繰り返され、亡くなった人の怨恨を慰めるために御霊会が開かれたと書かれています。京都三大祭りのうち葵祭は加茂の神の祟りで生じた風水害と凶作を鎮めるために始めたお祭り、祇園祭は疫神でかつ疫病を除く神である牛頭天王をお慰めする祭、北野天満宮は菅原道真公の恨み怨霊を治めるためのお社。
  疫病神のお祭りを一層盛んにしなくてはならないときにお祭りの縮小は少し政策が違っているのではないかナ、全国民に10万円を配るよりもこれを神様にお供えしてお祭りを丁寧にするのが大切なんだがナ、(国家が宗教行事をすることはできないのでしょうが)なんて思いながらこのところの感染者数の推移を見ています。コロナ2.jpg
7月24日の
NHKテレビから
  いや確かにこのパンデミック、神の祟りかもしれないのです。人類はこれまでに技術進歩、快適な生活、経済活動の繁栄などの理屈をつけて自然をすっかりと破壊してきてしまいました。気候温暖化、近頃の大雨もその象徴でしょう。蝶々、とんぼ、それに蝉の姿も見る機会が少なくなりました。この神の怒りを治めるのにどのようなお祭りがいいのでしょうか。ほんとうにもう一度阿部清明に頼んで神泉苑で御霊会を行うのが良いのかもしれません。
  この騒ぎのおかげでクラスター、ソシアルディスタンスなど、もう50年も前に勉強した言葉が、いま巷間に滋く使われています。ソシアルディスタンスという言葉は、人と人の間の関係、親密度、距離、世の中の本質を象徴している言葉なのですネ。
  70年代の前半、未来学が盛んな頃、清水幾太郎さんの翻訳でロジェ・カイヨワの「遊びと人間、Les  Jeux et les Hommes」という書が翻訳されて話題をよびました。カイヨワはこの本のなかで遊びを

アゴーン(競争);スポーツ、囲碁将棋、

アレア(運);宝くじ、カジノ、競馬、パチンコ、

ミミクリー(模擬);演劇、映画、ライブショー、

イリンクス(眩暈);登山、スキー、ジェットコースター、観光

  と分け、人間にとって遊びはなくてはならない生活要素だと説いています。不思議にこれらの項はすべて今“自粛”を呼びかけられていること。そして「いずれの遊びも孤独ではなく、仲間を前提とする」と書いているのです。いくら危ないと分かっていてもパチンコに行く、ライブショーに参加する。三密を避けろ、夜の接待はいかんといっても、そうした人間生活の本質を制限することは無理なのでしょう。単に経済とのバランスということではないのです。

  社会経済は一時低下しても不死鳥のように蘇ってきます。戦後の復興、あるいはリーマンショックも同様でした。もちろんそこには大きな犠牲あるいは社会変化があるのですが、経済が完全にダウンすることはないでしょう。そして経済よりも人間の遊びへの欲求をどのように処理しながらコロナへの三蜜に対応するかが大切だと思うのです。

  一旦「東京アラート」を決めて橋の照明まで派手に宣伝したのに、一週間後にはそんな規定はもう無理だとなると、土俵をひろげてしまうなんてルール違反です。Go toキャンペーンにしても、目の前に感染者の増加が目に見えているのにメンツにこだわって強行。東京は除くなんていう姑息な手段。世の中が順調に行っているときの政治はだれでもできるのでしょうが、こうした危急の時にこそ政治家の手腕がとわれます。結果はほぼおなじでも、go toキャンペーンを人間の遊びへの性向を支える政策という点に軸足を置いて考え、人間を中心に設計すればずいぶんと異なった雰囲気になるでしょうに。この齢のわたしでも新宿に買い物に行くことが出来ない、自然の中を散歩できないということに大きなストレスを感じているのですから。

  戦後、私が結核を患ったとき、この疫病の当時の死亡率は諸病のなかで最大でした。1949年、戦後の疲弊がひどい時期でしたので報道もどの程度され、国がどのような処置をしたのかおぼえておりませんが、東京の郊外には隔離病棟が設けられていたものです。私は幸いにもそうした療養はせず、丁度治療薬のパスが開発されてその恩恵に浴した次第。このコロナの終息も治療薬の開発が唯一の終焉への道でしょう。

  定時のニュース番組ではあまり報道されませんが、ニューヨークやブラジルの惨状を視ると胸が痛みます。この稿は25日に書いています。皆様の眼に触れる時点ではまた様子がかわっているでしょう。とにかく一日も早くコロナの猛威が終息してほしいものです。諸兄どうぞお大事に。
posted by でんきけい at 00:00| Comment(0) | 斎藤さんのお話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。