2020年10月01日

モンブランと周辺の旅/大橋 康隆

  1998年7月22日朝、ツェルマット駅を氷河特急で8時18分に出発し、北に進みヴィスプ駅(Visp)を経由して西に進み、マルティ二―駅(Martigny)に10時37分に到着した。
  ここでモンブラン特急に乗り換え10時48分に出発し、西南に進み、シャモニー・モンブラン駅(Chamonix-Mont Blanc)に13時14分に到着した。予約してあったホテルに行くと、日本人団体客で溢れ、屋根裏の部屋に案内された。屋根裏部屋の天窓を覗くとモンブランが見えた。(写真1地図モンブラン周辺.jpg
地図(モンブラン周辺)
写真1天窓.jpg写真2展望台.jpg写真3銅像.jpg
写真1(天窓)写真2(展望台)写真3(銅像)
  早速ロープウェイでエギーユ・デュ・ミディ(Aiguille du Midi)に登った。(写真2)霧が深く、イタリア領に行くゴンドラに乗るのを諦めた。急いでシャモニーに降りて市街を探索した。山岳博物館(Musee Alpin)の近くでモンブランを初登頂したバルマ(Balmat)と後援者ソシュール(Saussure)二人の銅像(写真3)を撮影した。ソシュールは近代登山の父と言われるスイス人で装備、資金などを組織的に援助した。
  夕方になってホテルに帰着すると、夕食はホテル内の食堂が満席で、庭先の屋外テーブルに案内された。ここでは私達と同様な外国人観光客達が、日本人の団体客の横暴さに憤慨していた。「私達も日本人ですが、皆さんと同じように扱われているので、全ての日本人が横暴だと思わないでください。」と穴に入りたい思いで釈明した。
写真4展望台.jpg写真5モンブラン.jpg写真6カフェ.jpg
写真4(展望台)写真5(モンブラン)写真6(カフェ)
  7月23日朝は、シャモニーの北西にあるル・ブレヴァン(Le Brevent)にロープウェイで登った。展望台から(写真4)を撮影したが、ここで77才の日本人と遭遇した。奥様は高山病らしく、麓のホテルに置いてきたとのことだが、旅慣れた登山家らしく、カクシャクとしておられた。ここでモンブランの素晴らしい(写真5)を撮影した。近くのカフェでモンブランの勇姿を眺めながら昼食を味わった。(写真6
  ロープウェイで麓に降りて、近くのロータリーで(写真7)を撮影した。この構図が気に入ったので、帰国後、F6号の油絵に描き、NEC OB パレット会に出展した。次いでサン・ミッシェル教会(写真8)とシャモニー市街(写真9)を撮影した。
写真7モンブラン遠望.jpg写真8教会.jpg写真9シャモニー市街.jpg
写真7(モンブラン遠望)写真8(教会)写真9(シャモニー市街)
  シャモニー駅を13時55分に出発して東北に進み、マルティニ―駅に15時29分に到着した。ここで乗り換えてマルティニ―駅を15時37分に出発して北に進みモントルー駅(Montreux)に16時10分に到着。ここから登山電車でグリオン駅(Glion)に17時44分に登り、眺めの良いホテルに宿泊した。
  7月24日は、午前中ロッセ・ド・ナイユ(Rochers de Naye) を訪ね、午後にはシヨン城を観光船で訪れた。クラスブログ2011年1月1日「シヨン城」を参照して頂ければ幸いである。
posted by でんきけい at 00:00| Comment(1) | 大橋レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 私もシャモニーへは、2001年6月に行きました。その時の報告はこのブログの(2009年6月22日号)にありますのでご覧下さい。大橋君の報告のすごいところは、今から22年も前のことを、事細かに(何時何分とか)レポートしているところです。私は2009年の時点で既に細かいことは覚えていませんでした。大橋君の記録のすばらしいところに感服しています。
Posted by 高橋郁雄 at 2020年10月09日 09:49
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