2021年01月01日

新年の挨拶/武田 充司

   子供の頃、正月といえば下町の狭い路地で、晴れ着姿の小さな娘を相手に、ほろ酔い機嫌の父親が羽根つきをしている光景などを目にすることもあった。
   そんな時、初詣から帰ってきた近所の人が立ち止まって、「明けましておめでとう御座います。今年もよろしく」などと、改まった調子で、深々と頭を下げながら挨拶をする。こちらも羽根つきをやめて、同じことをオウム返し言って頭を下げる。そばでポカンと立っている子供の頭を押さえて、「ご挨拶をしなさい」と小声で言って挨拶をさせる親もいる。普段は隣近所のお付き合いで、気軽に声を掛け合っている人たちも、この日ばかりは人が変わったように改まって新年の挨拶を交わしていた。

 支那事変が長引いて生活もだんだん窮屈になり、お米が配給制になった頃だったか、ある年のお正月に、普段はモダンな洋装の従姉が、日本髪を結って綺麗な着物姿で年賀の挨拶にやって来た。彼女は僕より一回りほども年上だったが、二人ともひとりっ子だったので、僕を弟のように可愛がってくれた。このときも、いつもの調子で、お年玉代わりに何か好きなものを買ってあげるからといって、近くの八幡様の初詣に連れて行ってくれた。
 五、六人で歩けば肩が触れ合うような狭い下町の通りを彼女と並んで歩いていると、道行く人が、ちょっと立ちどまったり、振り返ったりして、彼女をじっと見ているのだ。すれ違いにざまに、声をかけたりするお屠蘇気分の若い衆もいた。子供心にも、自分までじろじろ見られているようで、恥ずかしかった。
 彼女は評判の美人で、府立の高等女学校を卒業して暫く銀行に勤めていたが、その頃、銀行を辞めて松竹の専属になり、女優を目指していた。まだ1本の映画にも出ていない女優の卵だったが、それでも、彼女は目立ち過ぎたのだろう。あるいは、戦時色の濃くなったあの時代の雰囲気に相応しくない彼女の姿に、人々はそれとなく非難の目を向けていたのかも知れない。いや、きっとそうに違いないと今では思う。

 そんなことのあった数年後には、もう戦況が悪化し、「贅沢は敵だ!」、「欲しがりません、勝つまでは!」などというスローガンのもと、すべては軍国調に様変わりした。そして、敗戦。大津波に襲われたあとのように、あの当時の下町の風景は跡形もなく消え失せた。
 しかし、高度成長期に入ると、丸の内や大手町の企業に勤める若い女性たちが、新年の仕事始めの日に、見事な着物姿で出勤してくるようになった。僕の勤めていた会社でも、新年の仕事始めの日には、同好の女性たちが華やかな着物姿で、琴の合奏をして正月気分を盛り上げてくれた。
   そして、松の内があけて成人式の日がやって来ると、二十歳になった女性たちが晴れ着姿で街に繰り出してくる。それは年々派手になって行ったが、判で押したような流行の着物姿でもあった。そこにはもう昔懐かしいあの日本髪と着物姿の風情など微塵も感じられなくなってしまった。あれは新しい時代の「着物という洋装の一種」なのかも知れないが、着物は新しい伝統を作りながらしぶとく生き残っている。

   年末は何かと忙しい。といっても近頃の僕は、人並みに「暮れは忙しい」と言っているだけで、本当はたいして忙しくもないのだが ― だからこんな駄文を書いているのだが、それでも、落ち着かない年末に「明けましておめでとう御座います・・・今年もよろしく」などと、まだ「今年」になってもいないのに、白々しく年賀状に書くのは全く気持ちが乗らず、難儀する。しかし、これも元日に年賀状が配達されるためにやっていることだ。
   あの下町の路地で羽根つきをしていた親子と近所の人が交わしていた新年の挨拶こそが本当の「年賀のご挨拶」なのかもしれない、と思ったりする。子供の頃の生活を思うと、便利でよい時代にはなったが、正月のささやかな楽しみと心の温もりが失われてしまったようで寂しい。しかし、これも、よい時代に生きている人間の我儘かも知れない。コロナ禍のあと、きっと厳しい時代がやって来るに違いない。
(2020年12月末 記)
posted by でんきけい at 00:00| Comment(2) | 武田レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
路地、晴れ着、羽根つき。昔の正月を思い起こす大変うれしい一文。以前私の「路面電車」稿(2017年)に頂いたコメント荒川遊園地のお話と合わせて、懐かしい昔の東京がよみがえってきました。もう80年以上昔。その雰囲気が分かる方もすくなくなりましたネ。
Posted by サイトウ at 2021年01月01日 14:56
そうですね。もう80年以上も昔のことです。長い間リトアニアの中世史を、調べて、書いて、ということを続けてきて、80年という歴史のスパンは相当長いと意識しているのですが、自分の事となると、それは昨日のことのように思い出されるのが不思議です。大した事もせず平凡な人生を送った人間でも、やはり「感嘆一炊の夢」というべきでしょうか。
Posted by 武田充司 at 2021年01月05日 21:06
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