2020年06月16日

リトアニア史余談101:ドイツ騎士団とポーランドの短い戦い/武田 充司

 1409年5月、ドイツ騎士団の圧政と飢餓に苦しむジェマイチヤの人々がついに蜂起した。彼らは瞬く間にクリストメメル、フリーデブルク、そして、ドベシンブルクの城を襲って焼き払った(*1)。
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2020年05月16日

リトアニア史余談100:ドイツ騎士団のジェマイチヤ統治/武田 充司

 1404年に「ラツィオンシュの講和」が結ばれると(*1)、ドイツ騎士団はジェマイチヤの主要な河川に沿って点在する城の修理を進めると同時に、要所に新たな城を築いた(*2)。
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2020年04月16日

リトアニア史余談99:ウグラ川の協定/武田 充司 

 1406年、ノヴゴロドはヴィタウタスの軍事的圧力に屈して、ポーランド王ヨガイラの弟レングヴェニスを勤務公としてうけいれた(*1)。これはレングヴェニスにとって2度目のノヴゴロド勤務であった。
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2020年03月16日

リトアニア史余談98:ラツィオンシュの講和/武田 充司

 15世紀初頭のドイツ騎士団との戦いは武力衝突ばかりではなかった。互いに自陣営の聖職者や学者など、当時の知的エリートたちを総動員して、自分たちの行為の正当性を西欧キリスト教世界に訴え、理解と共感を得ようとする激しい政治的宣伝合戦でもあった。
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2020年02月16日

リトアニア史余談97:ジェマイチヤの反乱/武田 充司

 1401年3月、ドイツ騎士団の支配を嫌うジェマイチヤの人々が決起し、多くのドイツ人を人質にとってフリーデブルクの城を焼き払った(*1)。すでにジェマイチヤの長老や有力者の多くがドイツ騎士団によってプロシャに連れ去られていたから(*2)、彼らは人質にとったドイツ人と交換にその人たちを取り戻そうとした。
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2020年01月16日

リトアニア史余談96:最後の異教徒の地ジェマイチヤ/武田 充司

 1399年2月、北方からリヴォニア騎士団が突然ジェマイチヤに侵攻してきた。驚いたジェマイチヤの人々が防戦に気を取られている隙に、ヴェルナー将軍率いるプロシャのドイツ騎士団軍が背後からジェマイチヤに襲いかかってきた。ジェマイチヤ全土はあっという間に両騎士団軍による略奪と破壊の惨禍に飲み込まれてしまった。
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2019年12月16日

リトアニア史余談95:ヴィルニュス・ラドム協定/武田 充司

 ポーランド王ヨガイラの后ヤドヴィガは、1399年6月22日、長女エルジビエタ・ボニファチャを出産したが、不幸にも、その子は生れて3日後に亡くなった。そして、ヤドヴィガ自身もそれから1か月も経たない7月17日に亡くなった。
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2019年11月16日

リトアニア史余談94:ヴォルスクラ川の戦い/武田 充司

 ウクライナの首都キエフの東南東300kmほどのところにポルタヴァという都市がある。そこは18世紀初頭の大北方戦争の行方を決した大会戦「ポルタヴァの戦い」があった場所として知られているが、それより310年前の1399年、ポルタヴァの北方郊外のヴォルスクラ河畔でリトアニア大公ヴィタウタス率いる遠征軍がキプチャク汗国の汗テミュール・クトルク率いるタタール軍と対峙した。
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2019年10月16日

リトアニア史余談93:クリミア遠征とサリーナス条約/武田 充司

 1398年夏、ヴィタウタス大公は前年に続いて再びドニエプル川下流の草原地帯に遠征した。このとき、ヴィタウタス率いるリトアニアの遠征軍はクリミア北部からさらに東へ進んでドン川下流域まで達した。そして、ドニエプル川の河口付近に城を築き、「聖ヨハネの城」と命名し、多くの捕虜をつれて意気揚々と引き揚げてきた(*1)。
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2019年09月16日

リトアニア史余談92:ドイツ騎士団のヴィルニュス包囲/武田 充司

 1393年1月、ヴィルニュスの南西150kmほどに位置するリトアニア南部の要衝ガルディナス(*1)がドイツ騎士団の大軍に襲われた。彼らの中には西欧から雇われた大勢の騎士たちもいた(*2)。
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2019年08月16日

リトアニア史余談91:ヴィタウタス大公時代のはじまり/武田 充司

 1392年から1430年までのヴィタウタス大公の時代はリトアニアが頂点を極めた時代であるとともに、それは歴史的な分水嶺となった時代でもあった。
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2019年07月16日

リトアニア史余談90:ヴィタウタスの妹リムガイラの結婚/武田 充司

  1392年春、カウナス近郊の城リッタースヴェルダーにひとりのポーランド人が密かにヴィタウタスを尋ねてやって来た。その人物はポーランド王ヴワディスワフ2世ヤギェウォが差し向けた密使ヘンリクであった。
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2019年06月16日

リトアニア史余談89:ヴィタウタスの娘ソフィアの嫁入り/武田 充司

   ヴィタウタスのひとり娘ソフィアは、1391年1月、モスクワのヴァシリイ1世のもとへ嫁入りした。このときソフィアは二十歳、それ以来1453年に亡くなるまでの実に60年余にわたる長い間、彼女はモスクワ公家のために生きた。
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2019年05月16日

リトアニア史余談88:ヴィタウタスとヘンリー4世/武田 充司

 1390年9月、リトアニアの首都ヴィルニュスの城はヴィタウタスとドイツ騎士団の大軍によって包囲された。このとき、ヴィタウタスは家族全員を人質としてプロシャのドイツ騎士団に預け、ドイツ騎士団とともに、従兄弟のポーランド王にしてリトアニア大公ヨガイラに戦いを挑んだのだった(*1)。
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2019年04月16日

リトアニア史余談87:同君連合下のリトアニア/武田 充司

 リトアニア大公のままポーランド王になったヨガイラは后ヤドヴィガのいるポーランドの首都クラクフの宮殿に居を移し、リトアニアには大公代行として実弟スキルガイラを任命して統治を任せた。
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2019年03月16日

リトアニア史余談86:キリスト教の国となったリトアニア/武田 充司

   1387年、リトアニアはキリスト教(カトリック)を国教とする国として歴史的な第一歩を踏み出した。しかし、それは性急な荒々しい第一歩であった。
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2019年03月01日

谷の鶯と鶯谷/武田 充司

 「春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど・・・」とはじまる「早春賦」は、我々世代にとっては誰でも口ずさむことのできる懐かしい歌だ。
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2019年02月16日

リトアニア史余談85:ポーランドに婿入りしたヨガイラ/武田 充司


 1386年1月11日、リトアニア大公ヨガイラは、リトアニアの首都ヴィルニュスの南々西180kmほどにあるヴォルコヴィスク(*1)において、ポーランド代表団を接見した。そして、「ポーランドの貴族たちはヨガイラをポーランド王に選出することで同意した」という文書をうけとった。
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2019年01月16日

リトアニア史余談84:クレヴァの決議/武田 充司

  1385年8月、クレヴァの城(*1)でポーランドの代表団を迎えたリトアニア大公ヨガイラはその後のリトアニアの歴史を規定する重大な決議をした。リトアニアではそれを「クレヴァの決議」と呼ぶが、ポーランドでは「クレヴォの合同」という(*2)。
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2018年12月16日

リトアニア史余談83:カウナスのマリエンヴェルダー/武田 充司

 マリエンヴェルダーといえばポーランドのクフィジンにあるマリエンヴェルダー城が有名だが、かつて、ほんの一時であったが、リトアニアのカウナスにもマリエンヴェルダー城があった。
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