2018年08月16日

リトアニア史余談79:アルギルダス大公没後の内紛/武田 充司

  1377年5月、アルギルダス大公が亡くなると、あまたいる息子たちの中から、アルギルダスの2度目の結婚で后となったトヴェーリ公アレクサンドルの娘ユリアナとの間に生まれた長男ヨガイラがリトアニア大公となった。
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2018年07月16日

リトアニア史余談78:リトアニアにもあった正教の府主教座/武田 充司

  現在、リトアニアはカトリックの国であるが、正教は建国以前からリトアニア人にとって身近な存在であり、中世のリトアニアがその支配地域を東方に拡大するにつれて、多くのスラヴ人正教徒を抱え込むことになり、正教政策は異民族統治の問題でもあった。
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2018年06月16日

リトアニア史余談77:リトアニアのタタール人/武田 充司

  ヴィルニュスにもカウナスにも「トトリュ通り(*1)」という道があるが、これは「タタール人通り」という意味だ。中世リトアニアの一時期、タタール人はユダヤ人とともにリトアニア社会における非キリスト教徒グループ最大の集団になっていた。
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2018年05月16日

リトアニア史余談76:トラカイのカライム人/武田 充司

  静かな自然と湖の中に浮かぶ小島に築かれた古城の風情が訪れた人たちの心を癒してくれるトラカイは、首都ヴィルニュスから車で30分ほどで行けるから、日本からバルト3国の観光旅行に出掛けた人たちも必ず訪れているだろう。
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2018年04月16日

リトアニア史余談75:カウナスの城/武田 充司

  リトアニア第2の都市カウナスは日本では「六千人の命のビザ」で知られる杉原千畝によって有名になったが、ネリス川がネムナス川に合流する地点に発達したこの都市は首都ヴィルニュスを防衛する最重要拠点として多くの過酷な戦いの歴史を刻んできた。
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2018年03月16日

ロンドンの日本クラブ/武田 充司

  もう50年以上も前のことだが、ロンドンのテムズ河畔に沿ったチェルシー・エンバンクメント通りに「日本クラブ」というロンドンに進出した日本企業の人たちのためのクラブがあった。
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2018年02月16日

素晴しい女性ドライヴァーたち/武田 充司

 昔、英国原子力公社の公用車に乗せてもらう機会が幾度かあった。そのとき、公用車の運転手がいつも中年の女性であることに気づいた。彼女たちは黒のスカートに制服制帽で、まるで婦人警官のような感じだった。
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2018年01月16日

神田神保町から王子駅まで歩いた話/武田 充司

  昔の浦和には古本屋が多かった。その古本屋のほとんどは中山道沿いに並んでいた。高校時代には暇さえあればその古本屋を一軒一軒まわっていた。しかし、それでも足りずに、時には奮発して神田の古本屋街まで出掛けていったものだ。
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2017年12月16日

昭和の歌と2つの昭和/武田 充司

  また年末がやってきた。もう直ぐ年が明けて平成30年がはじまる。ということは昭和が終って30年目の年になるということだ。30年は1世代、「10年ひと昔」ともいうから、昭和も遠くなったのだ。
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2017年09月16日

リトアニア史余談74:シニ・ヴォディ川の戦い/武田 充司

  ユジヌイ・ブーク川はウクライナ東部を北から南東へ流れてオデッサの東方で黒海に注いでいる。ウクライナの首都キエフの南方260kmほどのところにユジヌイ・ブーク河畔の都市ペルヴォマイシクがあるが、その辺りでシニュカ川という支流が北からユジヌイ・ブーク川に合流している。
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2017年09月01日

昔の愉快なエレベーター/武田 充司

 ロンドンのフリート・ストリートにあった会社の事務所のエレベーターは人力エレベーターだった。
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2017年08月16日

リトアニア史余談73:ヴィルニュスを訪れた2組の使節団/武田 充司

 1324年秋、リトアニアの首都ヴィルニュスを全く対照的な2組の使節団が訪れていた。
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2017年08月01日

軍艦マーチと煙草の値段/武田 充司

 戦時中、あの勇ましい「軍艦マーチ」に歌詞をつけて、 “守るも、攻めるも、黒がねの・・・”と歌っていたのを思い出すが、我ら無邪気な悪ガキどもは、そこに入る前の序奏の部分にも歌詞をつけて、
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2017年07月16日

リトアニア史余談72:ゲディミナス大公と教皇ヨハネス22世/武田 充司

 1316年、アヴィニョンでは高齢だが活力溢れる教皇ヨハネス22世が即位したが、その年、ゲディミナスもリトアニア大公となった。
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2017年07月01日

霧のロンドン/武田 充司

 5週間滞在したウォーリントンのオールド・ヴィカリジ・ホテルを引き払って、ロンドン東郊外のエリス(Erith)に落ち着いたのは1962年の11月半ばだった。今度はイギリス人の家庭に下宿した。
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2017年06月16日

リトアニア史余談71:略奪と殺戮の十字軍志願者たち/武田 充司

  北方の強力な異教徒の国リトアニアとの対決が本格化すると、優れた軍事力を備えたドイツ騎士団も、衆寡敵せず、戦闘員の数的劣勢に悩まされた。
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2017年06月01日

オールド・ヴィカリジ・ホテル/武田 充司

  イングランド中西部の工業都市ウォーリントン(Warrington)は、近くのマンチェスターなどと同じように、当時は街全体が煤煙で真っ黒にすすけていた。そのウォーリントンの町外れにオールド・ヴィカリジ・ホテルという小さなホテルがあった。
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2017年05月16日

リトアニア史余談70:ニェムナス川下流に進出したドイツ騎士団/武田 充司

  リトアニアを南東から西に向かって流れる大河ニェムナスは南方から侵攻してくるドイツ騎士団に対する天然の防衛線であった。
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2017年05月01日

本バカ/武田 充司

  先日の東京30会に出席しようと新橋駅の改札口を出たら、あの機関車の置いてある駅前広場で古本市が開かれていたので、つい引っ掛かって10分ほどうろついてしまった。
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2017年04月16日

リトアニア史余談69:ドイツ騎士団本部のマリエンブルク移転/武田 充司

  ドイツ騎士団がリトアニア侵攻を本格化させたのは14世紀に入ってからだが、その重要な転機となったのは1309年に彼らの本部がポーランド北部のマリエンブルク(*1)に移転して来たことであった。
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