2017年04月01日

モーニング・ティー/武田 充司

  昔、北イングランドのカンバーランド地方の小さな町で4ヶ月ほど暮らしたことがあった。その町はシースケールといって、名の如くアイリッシュ海に面する海岸にあったが、当時、そこにはホテルはなく、ホテルより格下の古びたインが数軒あるだけだった。
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2017年03月16日

リトアニア史余談68:ヴォリニアとガリチアをめぐる争い/武田 充司

 ヴォリニアとガリチアは現在のウクライナ西部の歴史的地域名である。この地域は、10世紀末に現代ロシアの源流であるリューリク朝キエフ・ルーシのウラジーミル聖公が支配して以来、リューリク朝の末裔によって統治されていた(*1)。
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2017年03月01日

昔のゲーテとシラー/武田 充司

 数年前に「三十年戦争」のことを少し詳しく知りたくなったので、適当な本はないかと調べてみたら、「三十年戦史」(第一部、第二部)という岩波文庫の2巻本を見つけたので、早速、買って読んだ。
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2017年02月16日

リトアニア史余談67:ゲディミナス大公のキエフ攻略/武田 充司

 ゲディミナス大公は領土の東方拡大に熱心な戦略家であった。1320年代に入ると間もなく、大軍を率いてリトアニア南方に遠征し、キエフ攻略を目指した。
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2017年02月01日

カモイマツ/武田 充司

  初めて国外に行ったのは、アイゼンハワー政権のICAの給費留学生として、1960年の1月から11月まで、シカゴ郊外にあるアルゴンヌ国立研究所で勉強したときだった。
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2017年01月16日

リトアニア史余談66:ゲディミナス大公のつくったヴィルニュス/武田 充司

  リトアニアの首都ヴィルニュスを訪れた人なら、大聖堂広場から国会議事堂に向かって東西にのびる「ゲディミノ通り」を歩いて、ウインドー・ショッピングを楽しんだりしただろう。
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2017年01月01日

暮れと正月/武田 充司

  「明けましておめでとう御座います」といっても、これを書いている今はまだ年末だ。しかし、この原稿がブログに出るのは元日だから、こういう出だしにして・・・。
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2016年12月16日

リトアニア史余談65:伝説的英雄となったヘルクス・マンタス/武田 充司

  1957年、その当時リトアニアはソヴィエト連邦の一員で、リトアニア・ソヴィエト社会主義共和国と呼ばれていたが、そのリトアニアで「ヘルクス・マンタス」というドラマが発表された。
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2016年12月01日

アスペンとリエパ/武田 充司

  先日、信州の山の中の温泉で数日過ごしてきた。ちょうど紅葉が見ごろで、特に朝夕の山の眺めは格別だった。そのとき思い出したのが、昔、コロラドのボウルダー(Boulder)に2年ほど仕事で生活したときのことだ。
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2016年11月16日

リトアニア史余談64:ヘルクス・マンタスの最後/武田 充司

  ヘルクス・マンタス率いるプロシャ人の大反乱(*1)で窮地に追い込まれたドイツ騎士団を助けようと、ローマ教皇ウルバヌス4世は「プロシャへの十字軍」を呼びかけた。
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2016年10月16日

リトアニア史余談63:ヘルクス・マンタスのクルム遠征/武田 充司

  ポーランドを南から北に貫通して流れ、バルト海に注ぐヴィスワ川の下流右岸(東岸)にヘウムノという古い都市がある。ドイツ騎士団は、ポーランドに入植した当初から、このヘウムノとその周辺地域一帯の領有を「リミニの金印勅書」によって認められていた(*1)。当時、ヘウムノはドイツ騎士団によってクルムと呼ばれ、プロシャのドイツ騎士団領の中核都市として首都の役割を担っていた(*2)。
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2016年09月16日

リトアニア史余談62:大プロシャ反乱とヘルクス・マンタス/武田 充司

 ポーランド北東部に入植したドイツ騎士団によって瞬く間に征服されたプロシャ人諸部族は、1260年9月20日、結束してドイツ人の統治に反旗を翻し、一斉に蜂起した。これがその後「大プロシャ反乱」と呼ばれる長い戦いのはじまりであった(*1)。
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2016年08月16日

リトアニア史余談61:キリスト教徒になったヘルクス・マンタス/武田 充司

  北ドイツのブラウンシュヴァイク・リューネブルク公オットーは、1240年、ドイツ騎士団に協力してプロシャのナタンギアに遠征し(*1)、人質として捕えた多数のプロシャ人を連れて帰ってきた。その多くは若者で、プロシャ人部族の長老たちの大切な世嗣も含まれていた(*2)。
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2016年07月16日

リトアニア史余談60:ケーニヒスベルク/武田 充司

  旧制の教育をうけた人たちの中には、カリーニングラードと言われてもピンとこなくても、「昔のケーニヒスベルクですよ」と言われれば、「そうか、イマヌエル・カントの故郷か」とか、「“ケーニヒスベルクの7つの橋の問題”なんていうのがあったなあ」などと、人によって思い出すものが違っても、何か分かったような気になる人も多いと思う(*1)。しかし、いまでは、ケーニヒスベルクという名も知らない世代ばかりになってきたようだ。
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2016年06月16日

リトアニア史余談59:ドイツ騎士団に征服されたプロシャ人/武田 充司

  現在のポーランド北東部からロシア領の飛び地カリーニングラード州にかけてのバルト海東岸の低地地帯に古代から居住していた西バルト族はプロシャ人と呼ばれていたが、彼らは絶滅した幻のバルト族である。彼らを絶滅に追いやったのは13世紀前半に彼らの土地に入植したドイツ騎士団であった。

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2016年05月16日

リトアニア史余談58:ポーランドに招かれたドイツ騎士団/武田 充司

  ヨーロッパ近現代史を揺るがせたドイツ帝国はプロイセン王国が発展したものだが、この「プロイセン」という名は、その昔、彼らの先祖であるドイツ騎士団によって征服されて滅亡した西バルト族の一派「プロシャ人」に由来する。
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2016年04月16日

リトアニア史余談57:トランシルヴァニアのドイツ騎士団/武田 充司

 リトアニアの歴史もバルト族の運命もドイツ騎士団との過酷な戦いを抜きにしては語れないが、そのドイツ騎士団はどうしてあの地にやって来たのだろうか。
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2016年03月16日

リトアニア史余談56:消滅した古都ケルナヴェ/武田 充司

  はじめてケルナヴェを訪れてからもう20年近く経っただろうか。リトアニアの短い秋も終ろうとする寒い日だった。
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2016年02月16日

リトアニア史余談55:もうひとつの「氷上の戦い」/武田 充司

 「氷上の戦い」といえばアレクサンドル・ネフスキーが1242年4月にチュード湖畔で西欧キリスト教徒の軍団を破った戦いが有名だが(*1)、リトアニアのトライデニスが戦ったもうひとつの「氷上の戦い」を知れば、アレクサンドル・ネフスキーの勝利も影が薄くなるだろう。

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2016年01月16日

リトアニア史余談54:リトアニアという名の由来/武田 充司

 リトアニアという呼び方は英語の“Lithuania”という語の発音を仮名書きしたもので、これは日本を「ジャパン」と呼ぶようなものである。リトアニア人なら「リエトゥヴァ」(Lietuva)と言うことになる。正式の国名としては「リエトゥヴォス・レスプブリカ」(Lietuvos Respublika)、すなわち、リトアニア共和国である。
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