2015年12月16日

60年会報告の追記/武田 充司

 60年会も無事に終り、我々幹事の仕事も無くなったので、12月9日(水曜)、打ち上げ会を新橋の新橋亭でやりましたが、その席で、60年会終了後に入ってきた新たな情報など幾つか、皆さんにお知らせした方がよいことが話題になりましたので、以下に要点のみ報告します。
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2015年12月01日

先日の60年会で言いそびれたこと/武田 充司

  前回のブログに書いた「リトアニア史余談:モンゴルの東欧侵攻とリトアニア」でもってこの余談シリーズは53本目となりました。
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2015年11月16日

60年会の報告/武田 充司

 昭和30年(1955年)春に当時の電気工学科を卒業した我々にとって今年は卒業60周年に当たるので、これまで5年毎に開いていた同級会の「60年会」を11月5日(木曜)に品川プリンスホテルにて開催した。
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リトアニア史余談:モンゴルの東欧侵攻とリトアニア/武田 充司

 1222年、正体不明の騎馬軍団がイラン方面からカフカス山脈を越えて黒海北岸に現れた。そして、その辺りで暮らす遊牧民族ポロヴェツ人が襲われた。
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2015年11月01日

リトアニア史余談:ミンダウガスによる統一と国家の形成 / 武田 充司

 リトアニアにバルト族の国家が誕生したのは13世紀中葉である。13世紀初頭にはリトアニアのバルト諸部族は既に有力豪族を中心に互いに連携して行動していた。その状況は1219年のヴォリニアとの平和条約(*1)の締結からも想像される。
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2015年10月16日

リトアニア史余談:サウレの戦い / 武田 充司

 武力に訴えてでもリヴォニアにおける布教を成功させようとしたリガのアルベルト司教配下の武力集団である帯剣騎士団は、布教の進展とともに次第に司教の統制を嫌って独自の道を歩み出し、司教と対立するようになっていた(*1)
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2015年10月01日

リトアニア史余談:ヴォリニアとの平和条約 / 武田 充司

 ウクライナの北西部、ポーランドとの国境近くにウラジーミル・ヴォルインスキという都市があるが、この辺りはヴォリニア(*1)と呼ばれ、980年代にキエフのウラジーミル聖公がそれまでポーランドの支配下にあったこの地方を併合した。
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2015年09月16日

リトアニア史余談:戦うリトアニアのバルト族 / 武田 充司

 リトアニアのバルト族が統一国家をつくったのは13世紀中葉であるが、建国前夜ともいうべき13世紀初頭のリトアニア人は非常に活動的で好戦的であった。
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2015年09月01日

リトアニア史余談:ゲルツィカのフセヴォロド公/武田 充司

 13世紀初め、現在のラトヴィアの首都リガを拠点にドイツ人が植民地を拡大していた頃、ラトヴィア東部のバルト族の居住地域にはロシア人の公国があった。
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2015年08月16日

リトアニア史余談:リヴォニアのバルト族の運命 / 武田 充司

 ラトヴィアの首都リガからダウガワ川を100kmほど遡った北岸にコクネセという小さな町があるが、ドイツ人がリヴォニアに進出した13世紀初頭には、この辺り一帯はバルト族の居住地域であった(*1)。
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2015年08月01日

リトアニア史余談:神権国家の出現とリヴォニアの分割 / 武田 充司

 ラトヴィアの首都リガはダウガワ川がリガ湾に注ぐ河口近くに発達した都市であるが、1201年、この地域の布教を担っていたアルベルト司教がユクスキュル(現在のイクシュキレ)にあった司教座をこの地に移したことがこの都市の始まりである(*1)。
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2015年06月16日

リトアニア史余談:キリスト教徒となったリーヴ人カウポ / 武田 充司

  ラトヴィアの首都リガから北東に50kmほど行ったところにスィグルダという美しい町がある。かつて、この土地にもフィン・ウゴル系の部族であるリーヴ人が住んでいた。
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2015年06月01日

リトアニア史余談:リガのアルベルト / 武田 充司

 武力に訴えてでもリヴォニアでの布教を成功させようとするアルベルトが、十字軍兵士1500人余を乗せた23艘の大船団を率いてリガ湾に現れたのは、1200年3月のことであった。
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2015年05月16日

リトアニア史余談:リヴォニアではじまった布教活動/武田 充司

 バルト海の東岸に北から南へ、エストニア、ラトヴィア、リトアニアというバルト3国が並んでいるが、歴史的には現在のラトヴィアからエストニアにかけての地域はリヴォニアと呼ばれていた。
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2015年05月01日

リトアニア史余談:東西キリスト教の出会うところ/武田 充司

 現在のリトアニアはカトリックの国であり、人々の厚い信仰心は伝統的リトアニアの社会と文化を支える基盤となっている。しかし、リトアニアはヨーロッパで最も遅くキリスト教(カトリック)をうけ入れた国であった。そして、東西キリスト教の出会いの場所でもあった。

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2015年04月16日

リトアニア史余談:雷神ペルクーナス/武田 充司

  バルト族は自然界の様々なものに神性を認め、それらを恐れ敬うという多神教的な信仰をもっていたが、リトアニアの人々にとって、そうした神々の中でもペルクーナスは最も重要な中心的な神であった(*1)。
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2015年03月16日

リトアニア史余談:馬を愛したバルト族/武田 充司

 バルト族は馬とともに生きた民族である。バルト族と馬との深い関係は考古学的発掘調査から次第に明らかになってきた。
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2015年03月01日

リトアニア史余談:バルト族はどこから来たのか/武田 充司

 現在のリトアニア共和国は人口300万人ほどの小国であるが、その人口の80%を占めるのはバルト語族のひとつであるリトアニア語を母語とするリトアニア人である。したがって、リトアニアは世界で唯一のバルト族(*1)の民族国家である。
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2015年02月16日

リトアニア史余談:森と湖の国リトアニア/武田 充司

 リトアニアは「森と湖の国」といわれるが、あの美しいリトアニアの自然はどのようにして形成されたのだろうか。これから述べることはバルト海とバルト海東岸地域形成の物語である。
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2015年01月16日

リトアニア史余談:ヴァチカンとの衝突/武田 充司

 第1次世界大戦後独立したリトアニアは国境問題でポーランドとの国交を断絶していたが(*1)、この険悪な関係が思わぬところに飛び火した。
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